Dr. TAIRA のブログII

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地球環境変動とスピルオーバー感染症の脅威

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2023年)

はじめに

今月 8 日付けで、BMJ Global Heath 誌に、スピルオーバー(異種間伝播)感染症(→スピルオーバー:ヒトー野生動物間の新型コロナ感染 )に関する一つの論文が掲載されました [1](下図)。今後、人為的要因による気候変動や環境変動の結果、人獣共通感染症が増え、30 年後の死者数は 12 倍以上になると警鐘を鳴らしている論文です。すでに、多くの専門家が予想していることとは言え、ちょっと不気味な数字です。

著者らは、米マサチューセッツ州ボストンに拠点を構えるバイオテクノロジー企業 Ginkgo Bioworks のメンバーで、新しく開所したカリフォルニア州エメリービルの研究所に所属しているようです。

私はこの論文をブログで紹介しようと思っていたところ、Forbes Japan に本論文の解説記事の邦訳文 [2] が出ているのを見つけました。著者は GrrlScientist というハンドル名の鳥類専門の進化生態学者、科学ジャーナリストのようですが、当該論文を簡潔に解説していますので、それを読めば理解するのに役立つと思います。このブログでは補足しながら述べたいと思います。

1. 論文の概要

元論文 [1] では、まず、このテーマについてのこれまでの情報として、以下のように記しています。

COVID-19 のような現代の人獣共通の感染症の広がりが、人間の健康と生活に壊滅的な影響を及ぼしていることから、感染症のスピルオーバーの傾向をよりよく理解する必要性が浮き彫りになっている。

人為的な気候変動や環境変動の結果、スピルオーバー感染症の発生頻度は増加すると予想されているが、人獣共通感染症の流出頻度やその経時的変動に関する実証データが限られているため、それが将来のグローバル・ヘルスに及ぼす影響の大きさを明らかにすることは困難である。

その上で、著者らは本研究の方法と得られた成果について以下のように述べています。

●本研究では、広範な疫学データベースを用いて、特定の人獣共通感染症のサブセットについて、アウトブレイクの頻度と重症度の傾向を調べた。

●このサブセット(SARS-CoV-1、フィロウイルス、マチュポウイルス、ニパウイルスによる感染症)についての集団発生数と死亡数は、1963年から2019年まで指数関数的な割合で増加していることがわかった。

●本研究で観察された傾向が続けば、2050年には(2020年と比較して)、これらの病原体による感染事例は4倍に、死亡者数は12倍になると予測される。

そして、著者らは、本研究の分析結果が、感染対策としての実践、政策に与える影響について以下のように記しています。

●本研究は、最近の一連の衝撃的なスピルオーバーによる感染症流行が、ランダムでも異常でもなく、より大規模に、より頻繁に発生するようになった数十年の傾向に沿ったものであることを示している。

●グローバル・ヘルスに対するこの大規模かつ増大しつつあるリスクに対処するためには、アウトブレイクを予防・封じ込める能力を向上させるための世界的な協調努力が緊急に必要であり、本研究の知見はそのことを示す新たな証拠を提示している。

上記のように、著者らは、これらの病原体による感染事例は、2020 年と比べて 4 倍、死亡者数は 12 倍になると予測されると述べているわけですが、これは控えめな数字だとも言っています。この理由の一つとして、この分析では厳しい組み込み基準を適用しているために、監視・検出能力の進歩によって捉えられるべき偶発的事例が除外されている可能性があることを挙げています。もう一つの理由として、他の事象よりも数桁規模が大きい現在進行中の COVID-19 パンデミックを分析から除外したことを挙げています。

この研究は、歴史的証拠の分析に基づいて、人獣共通感染症のスピルオーバーによって引き起こされた最近の一連の感染症流行が、より大規模に、より頻繁に発生していることをあらためて示しています。この傾向が続くと、世界的な感染症のリスクと負荷によって、人類の健康と生活への損失という形で大きく現れて行く可能性があります。

しかし、論文では、世界的な努力を結集し、流行を予防・封じ込める能力を向上させるなど、この傾向を打ち砕く行動をとることは可能であるとしています。行動指針として、森林伐採や気候変動など、パンデミック・リスクの要因に対処すること、公衆衛生の脅威を検知し、それに対応するために必要な技術とインフラを整備することなどを挙げています。

これらの提言のうち、特にインフラと技術の進歩の分野では、COVID-19 に対応して実施され、成功を収めているものもいくつかあると論文は述べています。例えば、mRNA ワクチンの迅速な開発、廃水検査や能動的な検査を利用した、旅行拠点、学校や大学などの人が集まる場所での集中的サーベイランスの実施、新興のウイルス変異体を検出するためのゲノムサーベイランスなどがあります。著者らは、これらはすべて、公衆衛生の脅威に対する回復力を向上させる上で、計り知れない価値を示していると評価しています。

世界的な予防、備え、回復力を支援する究極の対策パッケージは、まだ明確になっていません。しかし、論文で強調されていることは、歴史的な傾向から明白なこととして、グローバル・ヘルスに対する大規模かつ増大しつつあるリスクに対処するために、緊急の行動が必要である、ということです。

2. ワンヘルスと環境サーベイランス

人類の人口は過去 50 年余で約 37 億人から約 80 億人へと激増し、それの伴い、気候変動と大規模な環境変動も起こるようになりました。これらの急激な変化により、人類は野生動物、家畜、ペットと密接に接触する機会が増え、上述したように、人獣共通の感染症が伝播する機会も増えています。現在、新興ウイルス関連感染症の75%が人獣共通感染症に起因すると推定されており、2019 年からの COVID-19 の台頭とパンデミックは、世界経済にも大きな破壊的影響を及ぼすことも人類は経験しました。

COVID-19 はすでに人獣共通感染症として認識されており、新たなスピルオーバーにより新規変異体の流行についても監視の重要性が指摘されています。このように、感染症とどう向き合うかという課題について、世界はいま、従来の公衆衛生の考え方から、ヒトと野生生物、家畜などの健康を一括するワンヘルス(One health)の考え方へシフトしています。

ワンヘルスの取り組みの一つとして重要なのが、環境監視です [3, 4]。既知の病原体に加えて、まだ発見されていない未知の感染症について、人に隣接した環境を監視するための好ましいツールとしてどのようなものが適用できるか、また、それらが古典的な臨床診断をどのように補完できるかなどの重要な課題があります。例えば、廃水検査は、COVID-19 パンデミックの際、公衆衛生の専門家と政策立案者が SARS-CoV-2 の拡散を評価する主要なツールの 1 つとして認識されるに至りました。これは、上記のBMJ論文でも指摘されています。

このような COVID-19 や他のウイルス性疾患の例を通して、その有効性が証明されている廃水サーベイランスですが、ワンへルス主導のアプローチとしても評価されています。すなわち、集中的にネットワーク化でき、システムとして強固であり、費用対効果が高く、比較的簡単に実施できるため、臨床診断を補完する、きわめて有用な方法であることが提案されています [3]

COVID-19は人獣共通感染症として懸念されている最新の RNA ウイルス感染症であり、その起源と拡散に関する情報は、将来発生するリスクをどのように軽減するかを決定するのに役立つ可能性があります。このようなウイルスの動態の追跡に加えて、ワンヘルスアプローチとして適切で実行可能な介入策が提案されています [4]

第一に、野生動物-家畜-ヒト間の流出インターフェイスにおける疫学的リスクアセスメントと組み合わせたスマートなサーベイランス、第二に、パンデミックへの備えを強化し、ワクチンと治療薬の開発を促進するための研究、第三に、流出リスクと流出の根本的な要因を減らし、誤った情報の影響を軽減するための戦略です。これら三つすべてにおいて、バイオセーフティバイオセキュリティを改善し、ワンヘルスアプローチの実施と統合するための継続的な取り組みが不可欠とされています。

おわりに

気候変動、地球温暖化、地球環境変動の時代に突入したいま、従来に増して感染症が、それも人獣共通感染症が増加していき、被害が増えて行く可能性が高いことは、上記論文 [1] が示すとおりです。地球温暖化は、細菌病原体の増殖を促す方向に働くと予想されます。このための対策として、ワンヘルスに基づく環境監視が必須であり、具体的なツールと介入策が提案されています。

翻って、日本の取り組みはどうでしょうか。厚生労働省は、人獣共通感染症は、全ての感染症のうち約半数を占めているとして、医師および獣医師は、活動現場でこれらの感染症接触するリスクを有していると述べています [5]。そして、ワンヘルスの考え方を広く普及・啓発するとともに、分野間の連携を推進するとして、農水省環境省との連携を進めているようです。

しかし、海外の専門家から指摘されているような環境監視の重要性については、厚労省の HP を見てもいまひとつ具体的に伝わってきません。何よりも、COVID-19 パンデミックでは、検査抑制論に走り、長い間空気感染を認めず、5 類化後はいわば公衆衛生の維持と疫学情報の取得・公表を放棄してしまった、非科学的で「真に国民のためのヤル気」が見えない厚労省です。

廃水サーベイランスについては、今もって国主導で集中化、システム化されておらず、自治体の単発的な取り組みに任せっきりになっています。古典的な臨床医学に偏向したこの国の感染症対策の弊害が出ているような気がします。

mRNA ワクチンの導入は、COVID-19 感染の健康被害を軽減することには成功していますが、逆に多様なウイルス変異体を生み出し、社会に深く入り込んでしまうことを許す結果になっている可能性があります。これからワンヘルスの概念に立脚して、COVID-19 のみならず、様々な新興感染症をいかにして迎え撃つか、厚労省の姿勢を見ているといささか不安になります。

引用文献

[1] Meadows, A. J. et al.:Historical trends demonstrate a pattern of increasingly frequent and severe spillover events of high-consequence zoonotic viruses. BMJ Global Health 8, e012026 (2023). https://gh.bmj.com/content/8/11/e012026

[2] GrrlScientist(訳:高橋信夫):動物から人間に感染する病気、30年後の死者数は12倍以上に. Forbes Japan. 2023.11.12. https://forbesjapan.com/articles/detail/67214 

[3] Leifels. M. et al.: The one health perspective to improve environmental surveillance of zoonotic viruses: lessons from COVID-19 and outlook beyond. 
ISME Commun. 2, 107 (2022). https://doi.org/10.1038/s43705-022-00191-8

[4] Keusch, G. T.: Pandemic origins and a One Health approach to preparedness and prevention: Solutions based on SARS-CoV-2 and other RNA viruses. 
Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 119, e2202871119 (2022). https://doi.org/10.1073/pnas.2202871119

[5] 厚生労働省: ワンヘルス・アプローチに基づく人獣共通感染症対策. https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000172990.html

引用したブログ記事

2022年3月9日 スピルオーバー:ヒトー野生動物間の新型コロナ感染 

      

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