Dr. TAIRA のブログII

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川戸の森問題を考える

カテゴリー:その他の環境問題公園と緑地

はじめに

千葉市にある川戸の森は、長年地域住民や市民に親しまれてきた緑地であり、2016 年には市民緑地に指定されました。市民緑地とは、都市緑地法に基づき、市と土地所有者が契約締結し、300 平方メートル以上の土地に管理計画を作り、自然とのふれあいの場を市民に開放する制度です [1]

ところが、昨年来、この緑地が大きな問題に発展しました。市民緑地の契約が突如解除され、地権者が不動産会社に変わり、土地開発を目的として森が伐採されてしまったからです。伐採跡では宅地工事が進められています(2024年3月現在)。

伐採計画が浮上した昨年の春、地域住民や市民有志の方々は、早速問題提起し、森の存続を訴えてきました(以下 YouTube)が、すでに森の半分の区域が伐採済です。新聞各紙も川戸の森の伐採を取り上げているように、問題の大きさがわかります [2, 3, 4]

www.youtube.com私の専門は生命科学微生物学ですが、大学での在職時から別途昆虫(特にチョウ類)の生態調査を行ってきました。川戸の森についても、2016 年から調査、観察を行ってきましたが、残念ながら森の伐採でそれもできなくなりました。そこでこのブログでは、これまでの調査記録の一部を紹介すると同時に、森の伐採と開発について何が問題かを考えてみたいと思います。

1. 森の概要

川戸の森は千葉市中央区川戸町にあります。森を中心に約 2 ha の緑地が広がっており、西側は大網街道沿いに県がんセンター、大学などが集まる公共施設区域に隣接し、東側に下ると谷津田が広がっていて、支川都川(しせんみやこがわ)を隔てて若葉区に至ります。図 1 に川戸の森および周囲の植生を示します。図中、赤線で囲んだ部分がすでに伐採され、宅地工事が進められています。

図1. 川戸の森の植生(国土地理院の地図に筆者描画).

森は、ブナ科のクヌギやコナラ、カバノキ科のイヌシデなどの落葉樹を中心とする樹木で構成されており、一部にスギ、ヒノキの人工林やマダケ林が見られました。樹木の間にはササ類や多種多様な草本が生え、アオキ、イボタノキ、エゴノキ、ガマズミ、ゴンズイヒサカキタラノキ、ヌルデ、ムラサキシキブなどの灌木が見られました。

私は、特に幼虫段階でエノキ Celtis sinensis を食樹とするチョウ種の生態の調査研究を行っていますので、この森でのエノキの存在にも注目してきました。図 1 に示すように、確認したエノキ高木は少なくとも 6 本存在しますが、大部分は伐採区域にあっため、すでに消失しています。

写真 1 は、No.2 のエノキで、クヌギと主幹が交差する珍しい形状をしていました。撮影は 1 月ですが、周囲の高木が落葉していて、この森が主に落葉広葉樹から構成されていることがよくわかります。

写真1. 川戸の森のエノキ高木(No.2、2020年1月).

写真 2 は、No.1 とNo.6 のエノキを示します。後者は現在唯一残されているエノキ高木です。

写真2. 川戸の森のエノキ高木(No.1 [右] および No.5 [左]、2020年1月).

写真 3 は No.3 のエノキの根元です。落葉が積もり、エノキを食草とするゴマダラチョウ Hestina japonica の幼虫が越冬する場所になっていました(下記)。

写真3. 川戸の森のエノキ高木の根元(No.3 、2020年1月).

写真 4 は 2024 年 2 月現在の森の状態(伐採跡)を示します。ちょうど通りの右側(写真中央あたり)に No.3 のエノキがありました。左側にはまだ残されている樹木があります。

写真4. 川戸の森の伐採後の宅地工事(2024年2月).

2. 昆虫の多様性

私は 2016 年から川戸の森で昆虫(特にチョウ類)の調査を行ってきました。この森で目撃・確認できたチョウ種およびそれらの幼虫段階での食草・食樹を表 1 に一覧します。目撃した種数は 37 種に及び、そのほとんどについて食草の存在・生育も確認できました。比較的狭い範囲でこれだけの種数が見られるということは、この森が豊富で多様な植物を育んでいることを裏付けています。

表1. 川戸の森で確認できたチョウ類およびその食草・食樹

注目に値するのは、千葉市、千葉県のレッドデータとして記載されている重要・要保護生物(凖絶滅危惧種が 6 種含まれていたことです。これらの中には、千葉市レッドリストで消息不明・絶滅とされているアサマイチモンジ Limenitis glorifica も含まれています(写真 5)。私は少なくとも二度本種を目撃しました。森内で見られる食草のスイカズラ Lonicera japonica 幼虫の発生も確認しました。

写真5. アサマイチモンジ(川戸の森、2020年7月).

千葉県の重要保護生物として指定されているオオチャバネセセリ Zinaida pellucida も多数回目撃し、写真に収めることができました(写真 6)。

写真6. オオチャバネセセリ(川戸の森、2020年7月).

千葉県の要保護生物とされているゴマダラチョウは、成虫は写真に撮ることはできませんでしたが、毎冬の越冬幼虫調査で多数の個体を検出できました(写真 7)。特に No.3 のエノキ(写真 3)は毎年 20 頭前後を産出してきました。

写真7. ゴマダラチョウの越冬幼虫(川戸の森、2021年1月).

エノキ下の落葉は、チョウの幼虫以外にも様々な昆虫の越冬場所になっていて、アカスジキンカメムシ、エサキモンキツノカメムシ写真 8)、ヘリカメムシ類などのカメムシの仲間、クビキリギリスなどが見られたほか、頻繁にワカバグモが検出されました。ワカバグモが見られるということは、昆虫の越冬場所として良い状態を意味します。

写真8. エノキ根元の落ち葉から出てきたエサキモンキツノカメムシ(川戸の森、2021年1月).

エノキ高木は図 1  に示すように、伐採された区域に集中していたため、今は 1 本(No.1)を除いて、消失しました。この 1 本は車道の近くにあって環境が悪く、これまでゴマダラチョウを検出したことはありません。したがって、この森では、伐採に伴ってゴマダラチョウが消失したのみならず、幼虫段階でエノキを食べるヒオドシチョウ Nymphalis xanthomelas テングチョウ Libythea celtis も絶滅したと考えられます。

エノキの幼木はまだありますが、より高木が必要な在来チョウ種の生息を支えるのは不可能でしょう。残されるとすれば、エノキ幼木を好む特定外来生物アカボシゴマダラ Hestina assimilis assimilis だけと思われます。

森は半分が消失しましたので、他の昆虫にとっても大打撃と思われます。おそらく東側の急斜面の緑を残してさらに伐採が進むでしょう。ブナ科樹木を食樹とする要保護生物アカシジミ Japonica luteaミズイロオナガシジミ Antigius attilia もおそらく絶滅状態だと思います。

3. 谷津の環境とオオムラサキ

千葉市はたくさんの谷津田を持つことが特徴です。谷津田とは、台地あるいは丘陵地が小河川によって開析されて生成した浅い谷(谷津)の底部が稲作地となったもので、周囲には雑木林が広がっています。中央区の一部にも谷津田があります。千葉市谷津田の自然の保全施策指針を公表しています [5]

谷津田周辺の雑木林には、林縁に沿ってエノキ高木が点在しており、これを食樹とする国蝶オオムラサキ Sasakia charonda の生息を支えています。中央区では、これまで少なくとも川戸、花輪、赤井、生実の各町でオオムラサキの発生を確認してきました(ちなみに川戸の森での目撃はなし)。

オオムラサキは年一回の発生であり、6-7 月頃に羽化した成虫がすぐに産卵を始めます。夏に生まれた幼虫は 4 齢まで成長し、晩秋〜初冬にエノキ根元に降りて、落葉下で越冬します(写真9)。

オオムラサキの越冬幼虫は、適度な温度と湿気を要求しますので、森が伐採されて日射量が増え、風通しがよくなって乾燥化が進むと、生きられなくなります。また成虫は、樹液などからエネルギー確保しますので、樹液量が豊富なクヌギやコナラを中心とする雑木林が伐採されるとそれが困難になります。さらに、成虫は林縁を飛ぶ習性があるので、伐採で森が分断されると、狭い空間に閉じ込められることになり、遺伝的多様性を保てず、絶滅していきます。

このように、オオムラサキの生息は自然環境が保全されているか、里山・里地としての谷津田と周囲環境のバランスがれているかどうかのよい指標になるわけです。川戸町でも数年前までは、雑木林が結構残っていて、オオムラサキの成虫や越冬幼虫が見られました(写真 9)。

写真9. オオムラサキの越冬幼虫(中央区川戸町、2016年1月).

しかし、2017 年以降、川戸町および周辺地域ではオオムラサキはほとんど見られなくなり、ほぼ絶滅状態と考えられます。ゴマダラチョウも急激に個体数を減らしつつあります。

3. 森の伐採

川戸の森に限らず、千葉市中央区では、ここ数年森の伐採が急速に進んでいます。多くは施設・宅地化、ソーラー発電など土地開発目的であり、環境保全(防犯上見通しをよくする、落葉対策など)という名の伐採もあります。

写真 10 は、数年前の川戸町内の雑木林の伐採の様子を示したものです。

写真10. 森の伐採(中央区川戸町、2020年1月).

写真 11 は、赤井町の伐採の様子です。ここは昨年までわずかにオオムラサキがいました。

写真11. 森の伐採(中央区赤井町、2024年2月).

エノキ高木も次々と伐採されています(写真 12)。多くは落葉が邪魔、見通しをよくするという理由での伐採と思われます。

写真12. エノキ高木の伐採(中央区二戸名町、2024年2月).

写真 13 は、2020 年 1 月の撮影で、中央区川戸町と若葉区大宮町の境を流れる支川都川を示しますここは谷津、谷津田の構造になっています。

写真13. 支川都川(中央区若葉区の境、2020年1月).

写真 14 は、現在の同じ場所を示します。ほとんど変わっていないように見えますが、谷津にソーラーバネルが設置され、雑木林との境に生えていたエノキ、カワヤナギなどの多くの樹木が伐採されています。

写真14. 支川都川(中央区若葉区の境、2024年2月).

千葉市中央区および周辺では、市街地と谷津、谷津田が隣接し、商業地域と里地、自然が共存する環境が長い間保たれてきました。しかし、市街地近辺という宿命で、その地理的特徴が、急速に失われていこうとしています。地理的構造は少し違いますが、東京 23 区やさいたま市が辿った自然消失の運命を、今千葉市が辿ろうとしています。

4. 何が問題か

川戸の森問題には、市民緑地に関わる三つの考慮すべきポイントがあると個人的に考えています。一つ目は、緑地の生態系サービスに関わる環境公共財としての位置付けであり、二つ目はそれを維持するための行政の役割、そして三つ目は管理者、地権者、市域住民の情報共有化と連携です今回はこれらの点で、認識の欠如、手続きのまずさ、制度上、管理上の不備があったように思います。

生態系サービスとは、自然環境から得られる生物多様性、食料、水、空気、風、気温、景観、レクリエーションの時空間などの恩恵を言い、自然資本から発生するフローのことを指します [6]。教育、文化、芸術の豊かさの形成にも多大な影響を与えるものです。経済活動に直結するもののほか、お金に代えられない恩恵も多々あります。

ある程度の規模の緑地になると、地域に風量、日射量、気温、湿気などの物理的影響を及ぼします(いわゆるクールアイランド機能や保水機能を含む)。地域住民はそれらの日常的な影響と景観の下で、それらを当たり前のこととして生活することになり、さらにレクリエーション、憩いの場として利活用することにもなります。そこでの生活が長ければ長いほど、人々は人生と緑との歴史を共有することになるのです。

他の先進諸国では公共財としての緑地の価値を最大限に認識し、それだからこそ、たとえ私有地であっても、法的な手続きの瑕疵はなくとも、安易に現状変更しないという取り組みを積極的に行っているわけです。緑地の価値と重要性は、気候変動、地球温暖化生物多様性の損失の時代に突入した今、ますます高まっています。

環境省は、生態系サービスに基づいた企業などのネイチャーポジティヴ経営ガイドラインを策定しています [6]。ネイチャーポジティブとは、2021 年 5 月の G7 首脳サミットコミュニケ付属文書において言及された、2030 年までに生物多様性の損失を止めて反転させるという自然再興の概念です。

今回の件で言えば、川戸の森の公共財としての認識およびネイチャーポジティブ経営の認識が、当事者に欠落していたと言えます。川戸の森の伐採計画における開発業者による事前の委託環境調査報告書 [7] では、164種の植物といくつかの鳥類の生息が記載されており、これを読めば、伐採などとてもできないと思えるのですが、報告書の結論は「問題ない」となっています。単に開発を進めるのための手続きとして、一応調査報告を行ったという以上のものではないことがわかります。

結果として、市は市民緑地の理念と目的をあっさり放棄し、開発業者は一昔前の 20 世紀型の経済概念で開発を進めたということです。今は気候変動の時代なのです。一度失われた歴史や公共財は、金では戻せず、代替することも不可能であり、環境をより悪化させるだけです。地域住民は、これから従来以上の酷暑の夏を経験することになるでしょう。

行政の関わりで言えば、市民緑地の制度上の不備が緑地の維持を困難にしています。千葉市内でも、この 10 年で 4 カ所が契約解除に至っている [3] ということからもわかります。この制度には、基本的に、自治体長の承認なしに契約の変更または解除をすることができない旨の定めが必要ですが、現状では土地所有者の固定資産税・都市計画税の全額免除という利点はあるものの、相続対策などで売却が必要となった場合、契約解除の正当な理由になるというのがネックです。

千葉市の神谷俊一市長は、昨年の 6 月 2 日の定例会見で川戸の森の問題に触れ、「市街化区域の緑地をどう保全していくのか、これまでの制度でよいのか検証する必要がある」と述べました [3] が、遅すぎるように思います。全国的に、市民緑地制度を発足する前提として、整備しておく必要があったと思われます。緑地をより長く保全・管理する「特別緑地保全地区」制度の活用、公費での買取、寄付の促進、はたまた関連法改正への働きかけなど、行政はより積極的な取り組んでいく必要があるでしょう。

市民緑地の実際の運用上の管理者は様々ですが、千葉市の場合、主に地域の市民団体です。緑地の生態系サービス、公共財としての価値という面から、管理者、行政、土地所有者、地域住民、市民が、日頃から情報共有化しておくことが肝要です(特に管理者と土地所有者との連携は重要)。川戸の森で言えば、この共有化(森の価値は何か)と連携が弱かったことは否めないのではないでしょうか。

日本は「緑地は公共財」の認識がきわめて弱く、緑の先進国に大きく立ち遅れています。しかし、緑地が次々と消失することで損をするのは、結局、その生態系サービスを享受していた市民なのです。

おわりに

開発業者は、森の一部を市に寄付するようです [8, 9, 10] が、寄付対象は急斜面で開発が困難な森の東側であり、経済性の面だけで考えた措置だと考えられます。もとより、森の半分強が失われた時点で、森の機能と価値は失われていると言えます。

私は今年の夏、失われたその機能と価値を確かめることになりそうです。わずかに残された緑地に、今まで目撃できていた昆虫が果たして生息しているでしょうか。

引用文献・記事

[1] 千葉市: 市民緑地. 2024.02.24更新. https://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kanri/shiminryokuchi.html

[2] 中谷秀樹: 川戸の森「廃止」利用者ら60人語り合う「地権者に感謝」「急過ぎ、早く周知を」. 東京新聞Web. 2023.05.30. https://www.tokyo-np.co.jp/article/253293

[3] 宮坂奈津 重政紀元: ずっとあると思った市街地の「森」市民に開放するための制度の盲点. 朝日新聞デジタル. 2023.06.29. https://www.asahi.com/articles/ASR6Q41JSR5ZUDCB00T.html

[4] 中谷秀樹: 千葉市の「川戸の森」宅地開発問題 慎重派、事業者 溝埋まらず. 東京新聞Web. 2023.07.31. https://www.tokyo-np.co.jp/article/266689

[5] 千葉市: 谷津田等の保全に関する情報. 2022.07.13更新. https://www.city.chiba.jp/kankyo/kankyohozen/hozen/shizen/sizen_yatuda.html

[6] 環境省: 生物多様性民間参画ガイドライン(第3版)-ネイチャーポジティブ経営に向けて. 2023.03. -https://www.env.go.jp/content/000125803.pdf

[7] 株式会社PCER: 千葉市中央区環境調査報告書. 2023.09. https://takusho.co.jp/pdf/info/info-001.pdf

[8] 千葉日報: 旧「川戸の森」一部寄付で合意 不動産開発会社と千葉市 市民に開放へ. 2024.03.02. https://www.chibanippo.co.jp/news/local/1169859

[9] 加藤豊大: 川戸の森」の森林 千葉市に一部寄付 事業者が覚書
東京新聞WEB. 2024.03.04. https://www.tokyo-np.co.jp/article/312924

[10] 千葉市: 旧川戸の森」一部区域の緑地の寄附に関して、覚書を締結しました. 2024.03.08. https://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kanri/ryokuchikifu.html

        

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