Dr. TAIRA のブログII

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認知の霧の中にいるという米国人が増えている

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2023年)

今朝、コーヒーを飲みながら、ウェブ記事を探索していたら、New York Times(NYT)の記事 [1] が目に留りました。物事を考えられない、思い出せないという認知の霧の中にいる米国人が増えているという記事です(下図)。

記事を読んでみると、COVID-19 および長期コロナ症(long COVID)がもたらしている米国の深刻な社会状況を示しているものでした。事の重大性があるように、"X"上でも、この記事を引用しているポストを見つけました。

この状況は、米国のみならず日本や世界中の国で当てはまることだと思われます。このブログ記事で簡単に紹介したいと思います。

この NYT 記事 [1] は、米国勢調査局のデータから明らかになった、記憶力、集中力、決断力など、深刻な認知障害を抱える米国人が過去15年間で最も多くなったというものです。もちろん、この増加は COVID-19 パンデミックから始まったものであり、深刻な思考困難を訴える現役世代は、推定で100万人増加しました。18歳から64歳の成人のうち、歩行や階段の昇り降りに問題があると回答した人と、重度の認知障害があると回答した人の数がほぼ同じになったのは、2000 年代に当該局が毎月調査を始めて以来初めてのことです。

この急激な増加は、パンデミックの影響による心理的苦痛もありますが、かなりの割合で長期コロナ症の影響を捉えている可能性が高い、と研究者たちは捉えています。しかし、この増加の背後にあるすべての理由を完全に解明することは、現段階では不可能です。

米国の国勢調査は、毎月の人口動態調査の中で、記憶力や集中力に深刻な問題があるかどうかを尋ねています。この質問を含む日常生活の制限に関する 6 つの質問のいずれかに「はい」と答えた場合、障害者と定義されています。ちなみに、この質問は、障害者申請とは無関係であるため、回答者が一方的に回答する金銭的インセンティブはありません。

2020 年初頭の調査によると、何らかの障害を持つ 18–64歳の人は1,500万人未満と推定されました。それが、2023 年 9 月には約 1,650万人に増加しました。この増加分の 3 分の 2 近くは、新たに思考に制限があると回答した人々で占められています。また、推定によれば、視力障害や基本的な用事を済ませることが著しく困難な成人の数も増加しています。高齢労働者の障害者の割合は減少を続けてきましたが、パンデミックによって、それも終止符が打たれました。

認知に関する問題の増加は、多くの長期コロナ症の人々を悩ませる一般的な症状と一致しています。それは「脳霧、ブレイン・フォグ (brain fog)」です。

記事は、30歳の男性ソフトウェア・エンジニアの例を紹介しています。2020年末にCOVID感染し、1 ヵ月も経たないうちに、生活が一変したと言います。永久に二日酔いで、脳が一気にフリーズしたような気分だったと彼は伝えています。

セントルイスにあるワシントン大学の臨床疫学者であるジヤド・アル-アリ博士は、認知機能障害は長期コロナ症の特徴であると語っています。研究によれば、COVID-19に感染した人の 20–30% は、数ヵ月後に何らかの認知障害があると推定されており、その中には症状が軽い人から衰弱している人まで含まれます。また、長期的に煩っている患者の中には、セロトニンのレベルが低下している人もいます。このセロトニンの低下は、最近、セル誌に掲載された論文 [2] でも報告されています。

この症状は、単なる霧ではなく、基本的には脳の損傷であると、とテキサス大学サンアントニオ校健康科学センターリハビリテーション医学講座のモニカ・ベルドゥスコ-グティエレス博士は述べています。神経血管の変化と炎症があり、M.R.I.上で変化が認められるのです。

なぜ、若い成人に認知機能障害の変化が多く見られるのか、は明らかになっていません。しかし、これには、高齢者が COVID 感染に関わらず加齢に伴う認知機能低下を呈している可能性があり、その結果、認知機能の変化がより若い人たちで際立つのかもしれません。この点を、ジェームズ・C・ジャクソン博士(ヴァンダービルト・メディカル・センターの神経心理学者)は指摘しています。

加えて、長期コロナ症は、若年層と高齢者では異なった症状を示すことが多いことを、ガブリエル・デ・エラウスキン博士(U.T.ヘルス・サンアントニオの神経学教授)が述べています。彼の研究によると、高齢者で認知障害を持つ人は、記憶に関連した問題が多い一方、若年者ほど注意力や集中力に欠け、場合によっては思考に影響を及ぼすほどの疲労や痛みを経験する可能性が高いとされています。

記事では、2 度の COVID-19 感染でほとんど寝たきりになり、基本的な思考回路がほとんど働かなくなり、結局は仕事をあきらめざるを得なかった31歳の例を紹介しています。米国において失業中あるいは労働力から外れている現役世代の障害者の数は、パンデミックの間、ほぼ横ばいで推移してきましたが、国勢調査のデータは、就労している障害者の数は推定 150 万人増加していることを示しています。

パンデミックの間、リモートワークの柔軟性が高まったことで、パンデミック以前に障害を持っていた人々も職に就きやすくなりました。その結果、より多くの障害者が、仕事に就いたため、障害労働者の増加の原因になっている可能性もあります。

専門家によれば、障害者増加の要因は長期コロナ症だけではありません。国勢調査データで報告されている若年成人の認知障害率は、数年前から緩やかに増加しています。この増加の原因と思われる多くの要因の中で、子供の ADHD自閉症の診断の増加が、より多くの人々が自分の認知障害を認識し、報告するようになった可能性があると、専門家は指摘しています。

そして、パンデミック自体が精神障害を生んでいます。パンデミック下では、多くの人が一人で過ごす時間が増え、うつ病の割合が高くなり、精神科の薬を処方されるようになりました。つまり、パンデミックがもたらしたメンタルヘルスの問題の総和が、認知機能の増加に影響を及ぼしていると考えられます。

若い成人は高齢者よりも精神的苦痛を経験しているようで、これは認知機能の問題と関連していると考えられます。ギャラップ社の世論調査によると、パンデミック前は比較的同程度であった各年齢層のうつ病罹患率は、パンデミック中に 45 歳以下の成人では急上昇しましが、高齢者では横ばいでした。

ニューヨーク在住の34歳の女性俳優の場合は、パンデミックが発生したときに不安と抑うつが急増し、記憶力が低下し始めたと語っています。彼女の問題は、国勢調査で問われる「深刻な困難」までには至っていませんでしが、パンデミック前に経験したどんなことよりもひどいものでした。彼女の精神状態は回復しましたが、記憶力や集中力は回復しなかったと言います。物事をすぐにメモしなければ、それは存在しないことになるのです。

ワシントン大学のマーガレット・シブリー教授(精神医学・行動科学)は、パンデミックのストレスが、ADHD のような既存の症状を悪化させた可能性があると述べています。

国勢調査はすべて自己申告に頼っているため、専門家によれば、このデータは、たとえ健康状態に変化がなくても、人々が自分の認知をどのように受け止めているかの変化をとらえている可能性もあると言います。障害を持つ人々は、障害受容の高まりに注目し、国勢調査の質問に正直に答える傾向が強くなったのかもしれません。精神疾患発達障害に関する動画がネット上で拡散し、しばしば自己診断を促すようになったため、一部の若者は、パンデミックの間に神経多様性への認識と受容が高まった可能性もあります。

しかし、このような認識の変化が数字に与える影響は比較的小さいだろうと、モニカ・ミトラ(ブランダイス大学ルーリー障害政策研究所)は述べています。つまり、障害者の増加分のほとんどは、おそらく人々の健康状態の実際の変化を捉えたものだろう、ということです。

NYT 記事は、最後に彼女の言葉を載せています。「私たちは社会としてこのことを真剣に受け止める必要があります」、「このような人々が誰なのか、どのような影響を受けているのか、それに対して何ができるのかを理解する必要があります」。

筆者あとがき

米国で長期コロナ症の認知機能障害が増加し、現役世代の若年層(20–40代)がそのマジョリティであるという今回の記事は、想像されたとは言え、やはり衝撃的です。この状況はおそらく世界的な傾向でしょう。

日本では COVID-19 の5類化以降、政府やメディアが発する疫学情報の激減に伴ってこの病気への人々の関心は薄れていると思われます。長期コロナ症も、いわゆる「後遺症」という言葉で表されるように付随的なもので、「軽い」扱いになっているように思われます。しかし、集団的健康被害を考えれば、長期コロナ症は COVID-19 の本質的なものであり、社会的影響はきわめて大きいと言えます。

日本政府は、米国の国勢調査の項目にあるような精神的、認知障害を問う調査を行っていません。長期コロナ症の人がどのくらいいるか具体的にわかりませんが、感染者の数と発症率を考えれば、数百万人の患者がいると推定されます。物事を考えられない、覚えられない、忘れるという感覚は非常に幅が広いものであるので、実際 COVID-19 に感染して長期コロナ症になったとしても、認知機能障害を自覚していない人も多いのではないかと想像します。検査をしていなければ、なおさらそれはうやむやになります。

引用文献・記事

[1] Paris, F.: Can’t Think, Can’t Remember: More Americans Say They’re in a Cognitive Fog. November 13, 2023. https://www.nytimes.com/2023/11/13/upshot/long-covid-disability.html

[2] Wong, A. C. et al.: Serotonin reduction in post-acute sequelae of viral infection. Cell 186, 4851–4867 (2023). https://doi.org/10.1016/j.cell.2023.09.013

       

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