Dr. TAIRA のブログII

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下水データが示す第9波流行の動向

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2023年)

はじめに

いまCOVID-19第9波流行が拡大しています。しかし、政府はこの感染症の5類移行に伴って、従来の疫学情報を取得・公表することを止めてしまいましたので、国民は第9波流行がどの程度の規模で起こっているのかを正確に知ることができません。テレビでもほとんど伝えません(実際伝えようがない)。一方で、SNS上などで巷から聞こえてくるのが、「感染が増えているようだがどうすればいい? 対応の基準がわからない」という情弱状態におかれた国民や自治体の悲痛な声です。

政府が疫学情報の遮断の代わりに用意したのが地域ごとの主要医療機関での定点把握ですが、これは元々幼児が罹りやすいインフルエンザなどのために小児科を中心とする医療機関の定点での患者数の動向を把握するものであり、幅広く成人が罹るCOVID-19においてはその点ですでにバイアスがかかっています。5類化以降、軽症で受診をしない人(とくにいま流行りのEG.5.1は発熱が主な病態ではない)、検査で確認しない人が大幅に増えていることもあって、各自治体の定点把握というやり方が、はるかに感染力が強いSARS-CoV-2がもたらす流行に追いついておらず、感染の実態を大きく過小評価していることが考えられます。

このような状況に鑑み、厚生労働省はあわてて「新型コロナウイルス感染症に関する住民への注意喚起等の目安について」なる文書を各自治体宛に通達しました [1]。ところが、この文書をよく読んでみると、防疫という観点からはこれまでと何ら変わることなく、もっぱら「医療に負荷がかかっている状況とあわせて、以下の注意喚起を行うことが考えられる」という医療ひっ迫を防止するという視点から書かれていることがわかります。

何と「軽症時や検査、診断書発行等のための救急受診を控えること」と書かれているのです。つまり、病院に負荷がかかるので病院に行くなと言っているわけです。一般人は自分が軽症かどうか判断が難しいし、早期検査、早期治療という感染症治療の原則からもこの文書の言うことは外れていて、結局3年前に問題になった「37.5℃、4日間家で待て」という方針と何ら変わっていないということです。

自分で5類にし、併せて脱マスク方針、「個人の選択を尊重」方針を含めて公衆衛生対策を実質なきものにしておいて、いざ流行が拡大してくると、今度は「病院に行くな」と通達するなど、何をか言わんやです。やることをやらず、困ったら今度は国民の健康を犠牲にするような我慢を強いるとは、全く順序が間違っています。

1. 第9波流行の規模

実際いまはどの程度の流行なのでしょうか。きわめて限られた情報ですが、モデルナジャパンの新規患者数のデータ、および市レベルで実施されている下水サーベーランス(ウイルス濃度測定)のデータを参考にすることができます。

まず、図1にモデルナによる全国のCOVID-19患者数の推移を示します。このデータはJAMDAS(Japan Medical Data Survey:日本臨床実態調査)において「新型コロナウイルス感染症」、あるいは「COVID-19」と病名がついた日々の新規患者の集計値の推移を示しています。これを見ると、第9波は第6波を超える程度で、7月下旬に一つのピークに達し、そこから下がる傾向にあります。

図1. モデルナジャパンサイトが示すCOVID-19患者数の推移.

一方、下水サーベイランスではどうでしょうか。残念ながら、少数の自治体(市)しか実施していないので、あくまでも参考程度にしか見ることができませんが、北海道札幌市(図2)、石川県小松市図3)、兵庫県養父市図4)のデータは現在の流行がきわめて高いレベルにあることを示しています。仙台市でも同様な試みがありますが、生データではなく、感染者予測値として公表されていますので、ここでは除外します。

図1の札幌市ですが、第9波の現在までのピークから判断すると第7波程度ですが、これまでに比べて流行の期間が長く、長期間高濃度のウイルスが排出されていることがわかります。

図2. 札幌市の下水サーベイランスが示すSARS-CoV-2濃度の推移(8月8日更新).

小松市図3)および養父市図4)のデータは、この一ヶ月間でウイルス濃度が急激に上昇し、第8波のピークをすでに超えていることを示しています。

図3. 小松市の下水サーベイランスが示すSARS-CoV-2濃度の推移(8月11日更新).

図4. 養父市の下水サーベイランスが示すSARS-CoV-2濃度の推移(8月10日更新).

上記のように、地理的に離れた三つの自治体のデータが同様の傾向を示していることは、これが日本全体の傾向であるとみなしてもよいでしょう。つまり、第9波は第8波と同様かこれを超える流行の規模だということです。

2. 下水サーベイランスのこれからの方向

下水サーベイライスを行なっている上記3つの自治は、ウイルスの検出率のデータを共有し、感染状況を把握していくための協議会「全国下水サーベイランス推進協議会」を設立することが報道されました [2]。下水のSARS-CoV-2の検出の傾向は、実際の感染状況の傾向と概ね一致することが明らかになっていて、感染初期や無症状など検査を受けていない人の感染も把握できることから、高い精度で迅速にウイルスの広がりをつかむことができるとされています。

この協議会には、アカデミアからは片山浩之教授(東京大学大学院工学系研究科)、本多了教授(金沢大学大学院自然科学研究科)、北島正章准教授(北海道大学大学院工学研究院)が参加するようです。北島氏は「下水調査は無症状の人も含めた感染症の流行状況を把握することができる。下水調査によってさまざまな感染症対策につなげられるよう仕組みをつくりたい」と話しています [2]。彼は国内外でこの分野でリードしています(→下水検査の現状)。

SARS-CoV-2の検出を目的とした下水サーベイランスは、パンデミックが勃発してすぐに提案され [3] 、世界で実証研究が始まりました(→下水のウイルス監視システム)。すでに世界では、COVID-19流行を把握する標準の手段となっています。

日本でも日本水環境学会が「COVID19タスクフォース」を立ち上げ [4]、国の研究事業としても下水サーベイランスが始められましたが [5]、実証レベルに至り、継続している自治体はまだ数が少なく海外並みに全国的なネットワークを構築するには至っていませんこのようななかでも、札幌、小松、養父の三つの市はこれらを先導する実績があり、今回の協議会設立に至ったものと思われます。世界に立ち後れた日本ですが、参加する自治体の広がりに期待したいものです。

ちょっと頼りないのが厚生労働省です。COVID-19の5類移行後の対応についてホームページでも図示されていますが、発生動向の手段のなかに、重層的なサーベイランスとしてカッコ書きで「下水サーベイランス研究等」と示してあります(図5)。世界では、3年前から流行把握の標準手段となっているのに、いまだに「研究等」とは一体どういうことでしょうか。

厚労省所管の国立感染症研究所の報告 [6] を見れば、2020年4月には下水サーベイランスの研究を開始したことがわかりますが、それからもう3年が経過しています。報告書には「2023年4月現在, 地衛研を中心にSARS-CoV-2調査(月1回あるいは週1回採水)を継続している」とあるだけで、実証段階にあるのかどうか、詳細なデータも公表されていません。もちろん厚労省自身が研究を行ったり、研究事業として補助金を出すのは大いにけっこうですが、時間的にはすでに全国的なネットワーク監視レベルに達していなければなりません。

図5. 厚生労働省が示すCOVID-19の5類後の対応.

ちなみに、感染対策の項目に、5類後は「国民の皆様の主体的な選択を尊重し、個人や事業者の判断に委ねる」とありますが、これは何度も指摘していますが公衆衛生対策の放棄にほかなりません。感染症法上では、病気が何類に分類されようとも、公衆衛生の取り組みは維持されなければなりません。文字通り「公衆」なわけですから、そこに前置きとして「個人の判断」はあり得ないわけです。「公衆」の衛生と健康維持のために、当局が何をするかということが問われているわけですが、相変わらず厚労省厚顔無恥ぶりをさらけ出しています。

おわりに

限られた情報ですが、いくつかの下水分析データは、第9波流行が第8波を超える勢いで進行していることを示唆しています。医療機関はそれを実感として、市民や自治体はそれを肌感覚として感じており、情弱状態下で不安感ばかりが増しています。厚労省はあわてて「新型コロナウイルス感染症に関する住民への注意喚起等の目安」[1] を出しましたが、感染拡大防止には何の役も立たないことは上記したとおりです。

そもそも5類感染症でこんな通達を出さなければいけないこと自体がおかしいわけです。言い換えれば、まだ5類にできるはずでもない感染症なのに、自己都合で5類化し、疫学情報の遮断に走ったたために、その矛盾がいま出ているとも言えます。この分だと、おそらく、晩秋から冬にかけては大きな第10波に見舞われるでしょう。

日々更新される研究情報は、COVID-19がきわめてヤバい病気であることを示しつつあります。最新研究では、SARS-CoV-2が核、ミトコンドリアコードの両方のミトコンドリア遺伝子発現を阻害することで宿主のミトコンドリア機能が損なわれ、最終的には臓器不全に陥る可能性が示されています [7]ウイルスが排除され、肺のミトコンドリア機能が回復しても、心臓、腎臓、肝臓、リンパ節のミトコンドリア機能は障害されたままであり、COVID-19の重篤な病態につながる可能性があるとされています。

つまり、COVID-19は呼吸器系の病気というより全身性の疾患であるという認識をさらに強化するデータが蓄積しつつあるのです。罹ってはいけない感染症であり、とくに繰り返し感染することは避けなければいけないウイルスです。

世界保健機構(WHO)のテドロス事務局長は、5月に「COVID19の国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC)」の終了を宣言した際、暫定的な勧告を出しましたが、今月初めにこれは失効しました。これを更新すべく、緊急委員会は「COVID-19を長期的に管理するための常設勧告」を発行するように促しています(以下)。

引用文献・記事

[1] 厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策本部: 新型コロナウイルス感染症に関する住民への注意喚起等の目安について. 2023.08.09. https://www.mhlw.go.jp/content/001133038.pdf

[2] NHK北海道NEWS WEB: 下水調査で新型コロナ流行把握 札幌市など3市が協議会設立へ. 2023.08.10. https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230810/7000059898.html

[3] Lodder, W. and de Roda Husman, A. M.: SARS-CoV-2 in wastewater: potential health risk, but also data source. Lancet Gastroentrol. Hepatol. 5, 533-534 (2020). https://www.thelancet.com/journals/langas/article/PIIS2468-1253(20)30087-X/fulltext

[4] 日本水環境学会: 日本水環境学会COVID19特設ページ/COVID19タスクフォース. https://www.jswe.or.jp/aboutus/covid19.html

[5] 内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室: 下水サーベイランス. https://corona.go.jp/surveillance/

[6] NIID国立感染症研究所: 下水中の新型コロナウイルス調査(NIJIs)プロジェクトとポリオ環境水サーベイランスについて. IASR 44, 103–105. 2023.07.27. https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/2612-related-articles/related-articles-521/12159-521r03.html

[7] Guarnieri, J. W. et al.: Core mitochondrial genes are down-regulated during SARS-CoV-2 infection of rodent and human hosts. Sci. Trans. Med. 15, published Aug. 9, 2023. https://www.science.org/doi/10.1126/scitranslmed.abq1533

引用したブログ記事

2020年5月29日 下水のウイルス監視システム

2021年3月30日 下水検査の現状

        

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