カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2023年)
はじめに
先のブログ記事で、マスク着用の効果なしとしたコクラン・レビューの誤りについて書きました(→「マスク効果なし」としたコクラン・レビューの誤り)。このレビューは、ランダム化比較試験(無作為化 [比較] 試験)に基づいて報告されたものですが、分析対象となる研究の選択にきわめて偏りがあるという根本的な欠陥があり、掲載したコクラン・データベース・システマティック・レビューの編集委員会も「これは不正確で間違った解釈だ」という直々の批判文を出しました。
ランダム化(比較)試験とは、研究の対象を 2 つ以上の群に無作為(ランダム)に分け、治療法などの効果を検証することであり、主に医学や社会学分野で用いられています。確率的にランダムな状態で分析対象を分けることで、結果を公平に比較できるので信頼性が高いアプローチとされています。
理工学分野ではこの手法は用いられません。なぜなら、技術、機械、装置、道具などの評価はそれ自体を扱うことで達成できるからです。マスクという公衆衛生上の道具も然りで、様々な粒子の遮断効果および着用者からのエアロゾル粒子の放出遮断効果という点において、どのような種類のマスクが、どのような条件下で、どの程度機能するかは、沢山のデータがあり、その機能性は確立しています。
今回、サイエンティフィック・アメリカンに、「マスクは機能するー証拠を否定するために科学を歪曲することはできない」というタイトルで、マスクの効果に関するランダム化試験を批判する記事が掲載されました [1](下図)。ここで翻訳して紹介します。
1. マスクは機能するー証拠を否定するために科学を歪曲することはできない
この記事のタイトルを、上に示します。このタイトルに補足として、医学的パラダイムに依拠した新たなマスク研究(つまりランダム化試験による研究)は、マスクが機能することを示す数十年にわたる工学や職業科学を消し去ることはできない、という文が添えられています。
以下、筆者による翻訳文です。
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パンデミックが進み、空気感染ウイルスによるインフルエンザや RSV なども大流行する中、マスクのウイルス遮断能力をめぐる論争は、COVID 時代を象徴する愚行のひとつとなっている。何十年にもわたり、マスクの有効性が証明されているにもかかわらず、一部の医療関係者が科学を悪用し、人々の命を危険にさらしているのだ。
最近では、複数のランダム化比較試験を系統的に評価するコクラン・レビューで、一つの論文が「マスクが多くの呼吸器系ウイルスの感染を防ぐという証拠はない」と主張し、見出しを飾った。一般市民にとっても、医療従事者にとっても、誰にとっても、「それが何かを変えるという証拠はない」と、筆頭著者はメディアのインタビューで語った。この発言はコクラン・ライブラリーの編集長からの異例の非難を招き、編集長は 「このレビューの結果を正確に表現していない 」と述べた。
このような事態は今回が初めてではない。昨年末、あるランダム化比較試験では、医療従事者にとってN95レスピレーターは医療用(または外科用)マスクよりも優れていないと主張された。科学者、エンジニア、労働安全衛生の専門家は、この研究の欠陥を指摘した(コメント欄参照)。このような中で、これら2つのエピソードは、マスクのような物理的介入がどれだけウイルス感染を減らすかをテストするのに、この種の試験(ランダム化試験)が適しているかどうかという、より大きな根本的な問題を露呈している。
パンデミック下でマスクが使用される時に、マスクの科学的な「所有権」を独占的に主張するのは医療関係者であるが、彼らが無視していることは、マスクが何十年にもわたって広く使用され、成功を収めてきた、十分に理解された工学的解決策であるということである。このエビデンスを否定することは、学際的な専門知識を認めず、尊重しないことの反映であり、世界的なパンデミックへの対応も弱体化させている。
ランダム化試験を、観察研究、実験研究、モデル化研究などの他のタイプの研究よりも上位に置くことは、COVIDへの対応を妨げている。ランダム化試験のアプローチは、少数の研究によって、他の分野の膨大な研究を打ち消すというものであり、科学的根拠がないと言ってもよい。
このような試験が医学的意思決定の頂点に据えられることになったのは、「最善をつくす」ということから始まった。1980年代、専門家たちは科学的知識をよりよく医療に取り入れることを望んだ。当時は、読書、経験、教育がバラバラであったため、医師によって判断が大きく異なっていた。医学的な意思決定を、より再現性があり、一貫性があり、エビデンスと結びついたものにするために洗練させることが、エビデンスに基づく医療運動の賞賛に値するものの誕生に繋がった。
この努力には、「エビデンスの階層性 」の確立も含まれる。これは、ある種のエビデンスは、他のエビデンスよりも医学的意思決定者にとって有用であるという考え方である。専門家の意見と観察研究はピラミッドの一番下にあり、ランダム化試験は真ん中、そして一番上にはこれらの試験のシステマティック・レビューがある、 つまり、コクラン・レビューのように、研究者が複数の臨床試験結果をまとめ、レビューすることで、より広範で決定的な見解を示すことができる。
ランダム化試験が医学研究の根底にあるのは、研究上、人体が複雑で扱いにくいからである。実験室レベルでは有効な化学物質であっても、または動物モデルではそれが有効であっても、ヒトの体内に入ると役に立たない、あるいは有害でさえあることがある。被験者をランダム化することで、そのようなノイズを平均化し、バイアスを減らすことができる。無作為に選ばれたグループ間で治療結果を比較することで、私たちは効果をそこから抽出することができ、このような臨床試験を医学研究における「ゴールドスタンダード」とすることができる。
しかし、多くの場合、時間と多くの参加者(特に期待される差が小さい場合)と大きな予算がかかる。最も厳密な試験であっても、ある治療法が別のプロトコールで有効であったかどうかはわからない。たとえば、航空機事故におけるシートベルトの試験では、自動車にシートベルトが有効であるとは言えない。
このような臨床試験は非常に狭く焦点が絞られており、また意見が食い違うこともあるが、コクラン組織によって作成されたような系統的な編集やレビューは、医学的な意思決定を迅速かつ容易にすることができる。もちろん、このようなレビューに頼ることは、各試験を十分に理解し、真の知識を得る厳密さを確保するというよりも、利便性を優先させることになる。これが、レビューの一つの懸念点である。
マスクについては、そもそもランダム化試験は、基本的な工学的安全システムを評価するのに適切な方法なのだろうか? シートベルトや自転車用ヘルメット、救命胴衣については、そのような試験は当てにならないし、よく引き合いに出されるパラシュートのランダム化試験は、古くからのジョークである。なぜ、そんなにおもしろいのか? エンジニアは医者が知らないことを知っているのか?
多くの科学分野において、ランダム化試験法は根本的に不適切であり、芝刈りにメスを使うようなものである。何かを直接測定したり、正確かつ精密にモデル化できるのであれば、参加者を危険にさらすような複雑で非効率的な試験は必要ない。
工学は、おそらく最も「現実的」な学問分野であるが、ランダム化試験は行われない。必要な知識は、十分に理解されている。高速道路から換気システムに至るまで、私たちを動かし、空気や水を浄化し、人工衛星を軌道に乗せるあらゆるものが、ランダム化試験を必要とせずに機能している。
これには多くの医療機器も含まれる。航空機の墜落や橋の大破壊のような不具合が発生した場合、その不具合は認識され、二度と起こらないように体系的に分析される。今回のパンデミックでは、公衆衛生の失敗に注意が払われていないのとは対照的である。
「マスクはエアロゾル化したウイルスから私を守ってくれますか?」や 「このシートベルトは事故で窓から飛ばされないようにしてくれますか?」は、「アスピリンは心臓発作後の死亡率を下げますか?」とは異なるタイプの質問である。工学や自然科学をエビデンス階層の最下層、つまり専門家の意見と同じレベルに閉じ込めるのは間違いである。
シートベルトと同様、人々がマスクを適切に使用しているかどうかは重要だが、シートベルトが 「機能しない 」と結論づけるランダム化試験は存在しない。せいぜいこの種の試験は、人々がマスクを適切に使用するための具体的な指示やインセンティブを評価する、実に非効率的な方法だろう。
呼吸用保護具の着用は、よく理解されている技術であり、ウイルスや細菌からの保護についてよく考えられた規格(米国ではNIOSH、カナダではCSA)によって、数十年にわたって保証されてきた。 鉱業、生物医学研究、化学的プロセス、製薬、その他多くの産業が、世界中でこれらの法令や基準に従っている。 何百万人もの人々が、ランダム化試験のエビデンスを必要としない、レスピレーターの効果的な「実世界」の科学に自分の命を託していることは、誇張ではない。
したがって、著名な医学者がマスクによる保護について誤った説明をしていることは、非常に問題である、 N95 レスピレーターか、それ以上のものについては、理想的には双方向マスクが支持されているのである。
医療政策の立案者たちは、2003 年の SARS-1 の教訓を学ぶことができなかった。新型の病原体には、そうでないことが証明されるまでは、空気呼吸器を含む予防的アプローチが必要なのである。数百万人が死亡し、莫大な個人的・経済的被害が今も拡大し続けている今、COVID の長期化に対応しなければ、甚大な被害をもたらし続けることになる。
今からでも遅くはない。
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翻訳文は以上です。
おわりに
この記事では、工学的には性能や機能が確立しているマスクについて、わざわざランダム化試験で再評価するのは無意味だと、徹底的に批判しています。考えてみればそうで、性能がわかっている自動車について、全国を走っている当該車をある基準でランダム比較試験するようなもので、それが意味がないことはよく理解できます。
実際にはユニバーサルマスキングのランダム化試験なども行われていますが、マスクの種類や装着の程度、タイミングなどが全く異なる条件で、感染陽性に対する防止効果の有無を見出すことはきわめて困難です。先のニューヨーク・タイムズの記事でも、マスクの効果について、工学的基礎研究でわかっていることを重視すべきだ、という意見がありましたが(→「マスク効果なし」としたコクラン・レビューの誤り)、今回の記事と同じような視点だと言えましょう。
なお、この記事には最後に、「本記事は意見・分析記事であり、筆者または著者によって表明された見解は必ずしもScientific Americanのものではない」という断り書きがあります。
引用文献
[1] Matthew Oliver et al. Masks Work. Distorting Science to Dispute the Evidence Doesn’t. Sci. Am. May 5, 2023. https://www.scientificamerican.com/article/masks-work-distorting-science-to-dispute-the-evidence-doesnt/
引用したブログ記事
2022年3月12日 「マスク効果なし」としたコクラン・レビューの誤り
カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2023年)