Dr. TAIRA のブログII

環境と生物、微生物、感染症、科学技術、生活科学、社会・時事問題などに関する記事紹介

海外メディアが伝える処理水放出に関する科学者の見解

カテゴリー: その他の環境問題

はじめに

日本は福島原発事故跡から発生する放射能汚染水の処理水(ALPS処理水)の海洋放出を開始しましたが、この前後において、海外のメディアが盛んに関連記事を配信しています。それらの中には海洋放出に対する海外の科学者の批判や懸念も含まれていますが、日本のマスコミはほとんど取り上げません。中国の禁輸措置も含めた政治的な反発や嫌がらせが、テレビなどで盛んに報道されているのとは対照的です。

このブログ記事では、ナショナルジオグラフィックの記事 [1] BBCニュースの報道 [2] を取り上げながら、主として海外の科学者の反応を紹介したいと思います。ちなみに、海外メディアで、日本政府が好んで称するALPS処理水をそのまま呼んでいるところはどこにもなく、処理された核廃水(treated nuclear wastewater)、福島廃水(Fukushima waste water)、放射能処理水(treated radioactive water)などの表現を使っています。

1. ナショナルジオグラフィックの記事 [1]

ナショナルジオグラフィックの記事は、8月24日配信になっていますが、内容を見るとほとんどが海洋放出が始まる前に書かれたもののようです。冒頭で「これは市街地から排水溝に流れ込むような廃水ではない。 10年以上前の地震で被災した福島第一原子力発電所の損傷した原子炉を冷却するために使用された核廃水の処理水である」と断言しながら、日本と海外の反応を対比させています。すなわち、「日本政府は、この廃水を安全だと主張しているが、それは、トリチウムと呼ばれる放射性同位元素とおそらく他の放射性物質を含んでいる」、「一方で、近隣諸国や他の専門家らは、何世代にもわたって続く環境の脅威をもたらし、北米の生態系まで影響を及ぼす可能性があると述べている」、「どちらが正しいのだろうか?」と述べています。

これまでの経緯が次のように紹介されています。2011年3月11日、マグニチュード9.1の東日本大震災が発生し、2つの津波原発を襲いました。3基の原子炉がメルトダウンし、運転作業員たちは溶融した燃料を冷却するために海水の注入を開始しました。それから12年以上が経過し、現在もメルトダウンした燃料デブリの冷却が続いているわけですが、このプロセスで毎日130トン以上の汚染水が発生しています。これまで130万トン以上の核汚染水が集められ、処理され、敷地内のタンクファームに保管されてきました。

記事は、「この貯蔵スペースはまもなく底をつき、廃水を太平洋に放出する以外に選択肢はない」という日本政府の見解、およびそれに対する他国の反応を紹介しています。放出計画では、今後30年間かけて段階的に排水することになっていますが、まだ発生し続けている量を考えるともっと時間がかかるという専門家もいること、国連の原子力監視機関である国際原子力機関IAEA)がこの計画の安全性を評価する一方で、日本の近隣諸国からは、下記のように、一方的行為で危険だとの批判も出ていることを紹介しています。

中国の高官は、海洋放出を「全人類にとっての」リスクと呼び、日本が太平洋を「下水道」として利用していると非難しました。18の島国を代表する組織である太平洋諸島フォーラムの代表は、これをパンドラの箱と称しました。これらの島国は、何十年にもわたる核実験によってすでにトラウマを抱えています。放出に先立つ5月15日には、韓国の野党指導者が、日本の指導者たちの「水は飲めるほど安全だ」という主張を嘲笑しながら、「飲めるほど安全なら、飲料水として使うべきだ」と反発しています。

一方で、米国や国連は、日本の海洋放出を支持しています。米国務省の報道官は、日本が提案した放出について米国の立場を尋ねられ、「その決定について透明性があり、世界的に受け入れられている原子力安全基準に沿ったアプローチを採用しているようだ」と声明で述べ、慎重な支持を表明しています。ただ、記事でも述べられているように、同報道官は、放射性核種が太平洋を越えて北米の海岸に拡散する可能性についての具体的な懸念についてはコメントを避けています。そして、カナダとメキシコの外務省の代表は、海洋放出に関するコメントを複数回求めたが応じなかったと記事は書いています。

記事では、いま、米国の科学者たちが、海洋生物や海流が有害な放射性同位元素放射性核種とも呼ばれる)を太平洋全域に運ぶ可能性があると懸念していることを伝えています。たとえば、ハワイ大学ケワロ海洋研究所の所長であり、太平洋諸島フォーラムの放流計画に関する科学アドバイザーを務める海洋生物学者ロバート・リッチモンド(Robert Richmond)氏は、「国境を越え、世代を越えたイベントだ」、「福島沖の海に放出されたものは、一か所に留まることはない」と述べています。

IAEAは、海洋放出の国際水域への影響については、海洋拡散モデルに基づけばその影響はなく、越境影響は無視できるという見解です [3](→放射能汚染処理水放出と今後の影響)。一方、リッチモンド氏は、福島の最初の事故で放出された放射性核種や瓦礫が、約5500マイル離れたカリフォルニア沖で直後に検出されたことを示す研究に言及しています。そして、「計画されている排水に含まれる放射性元素は、再び海を越えて拡散する可能性がある」と述べています。

放射性核種は海流、特に太平洋を横断する黒潮によって運ばれる可能性があり、また、長距離を移動する海洋動物も放射性物質を拡散させる可能性があります。2012年のある研究では、2011年の事故から6ヶ月以内に、福島由来の放射性核種を持った太平洋クロマグロがサンディエゴ沿岸に到達したという「明白な証拠」が示されました。

リッチモンド氏によれば、すべての海洋生物の食物連鎖の起点である植物プランクトンは、福島の冷却水から放射性核種を取り込むことができますが、その運び屋としてはそれほど心配する必要はないということです。問題は、それらの放射性同位体が、消費者である動物に摂取されることです。彼は「様々な無脊椎動物、魚類、海洋哺乳類、そして人間に蓄積される」可能性があると指摘します。さらに、今年初めの研究では、海洋中のマイクロプラスチックが放射性核種輸送の 「トロイの木馬 」になる可能性について言及されています。これは前の拙著ブログでも指摘しています(→放射能汚染処理水放出と今後の影響)。

リッチモンド氏は、さらに、2011年の事故後、科学者たちがカリフォルニア近郊で放射性元素の痕跡を検出できたことが、今後の数十年にわたる廃水放出で予想できることを体現していると言います。彼は、最近、太平洋諸島フォーラムの科学顧問とともに、廃水が環境と人間の健康に及ぼす潜在的影響についてまだ十分に知られていないとし、日本に対して廃水放出を延期するよう求める意見書を発表しました。

記事では、リッチモンド氏ら以外にも、このような懸念を緊急表明している米国の科学者の言動を紹介しています。 昨年12月、米国を拠点とする全米海洋研究所協会(National Association of Marine Laboratories、米国または米国領内の100以上の研究所を会員とする組織)は、廃水放出計画に反対する声明を発表しました [4]

この声明は、「日本の安全性の主張を裏付ける適切で正確な科学的データが不足している」、「希釈が汚染の解決策 "という仮定を懸念している」ということを主張しています。声明によれば、海洋放出は 「地球上で最大の連続した水域」に対する脅威になる可能性があります。この水域は、生物の量的・質的に最大のバイオマスを含み、世界の漁業の70%をカバーしています。

一方で、やや違った見方をする科学者についても記事は紹介しています。海洋放射化学者で太平洋諸島フォーラムのアドバイザーを務めるケン・ビューセラー(Ken Buesseler)氏は、今回の事故による放射性物質の放出は、正しく見る必要があると言います。すなわち、「2011年に福島から太平洋に放出された放射性物質は比較的大規模なものであったが、それでも北米西海岸沖で検出されたレベルは、2011年の最初の数ヶ月に危険なほど高かった日本沖のピークレベルよりも数百万倍も低かった」と彼は述べています。そして、距離と時間が放射能レベルを下げるので、放出によって太平洋が取り返しのつかないほど破壊されるとは思えないし、私たちが死ぬという状況でもないと続けています。

ただ、ビューセラー氏も、「だからといって心配するなということにはならない」と念を押しています。タンクに貯蔵されている廃水には、セシウム137、ストロンチウム90トリチウムなど、さまざまなレベルの放射性同位元素が含まれており、 廃水濾過システムがどれほど除去効果があるのかという点について、疑問を呈しています。

記事は東京電力の見解も紹介しています。東電の広報担当者は、電子メールで、放出が「公衆と環境」に与える影響は最小限であると回答しました。すべての排水は、放出される前に「繰り返し浄化され、サンプリングされ、放射性物質の濃度が規制基準を下回ることを確認するために再検査される」と述べています。広報担当者は、ろ過システムはトリチウムを除去することはできないが、処理された廃水は、海水で希釈され、「日本や世界中の他の原子力発電所で放出される」よりも低いトリチウム濃度になるまで海水で希釈され、放出されると答えています。

東電はトリチウムを除く62種類の放射性同位体を除去するシステム(ALPS)を使用しています。ビューセラー氏は、この濾過システムが「常に有効であるとはまだ証明されていない」と警告しています。セシウムストロンチウム90のような 「非常に懸念される元素 」もあります。ストロンチウムは骨癌や白血病のリスクを高める同位体であるため、「ボーン・シーカー(bone seeker) 」という不吉な呼び名がついています。ビューセラー氏は、東電のデータによれば、処理後の廃水にはまだこれらの放射性同位元素が含まれており、その濃度はタンクによって大きく異なっていたと指摘しています。そして、「放射性同位体はうまく除去されたというのは不当だ」と述べています。

2. BBCの報道 [2]

福島に常設事務所を構えるIAEAは、「独立した現地分析」の結果、放出された水のトリチウム濃度は「運用上の制限値である1リットルあたり1,500ベクレル(Bq L−1をはるかに下回っている」と発表しました。BBC News は、この結果を交えながら専門家の意見を報じています。

専門家からのメッセージは、海洋放出は安全だというものがほとんどですが、すべての科学者が放出がもたらす影響について同意しているわけではありません。トリチウムは世界中の水に含まれており、トリチウムのレベルが低ければ、影響は最小限だと主張する専門家が大部分です。

しかし、トリチウムが海底や海洋生物、そして人間にどのような影響を与えるかについて、より多くの研究が必要だと言う、批判的な意見もあります。専門家によれば、排水は海流、特に太平洋を横断する黒潮によって運ばれる可能性があるといいます。漁業従事者たちは、自分たちの評判が永久に傷つくことを恐れ、自分たちの仕事を心配しているとBBCに語っています。

ポーツマス大学のジェームス・スミス教授(環境・地質科学)は、「理論的には、この水を飲むことができます」と述べています。フランスの放射能測定研究所の物理学者デイヴィッド・ベイリーも同じ見解であり、重要なのは、そこにどれだけのトリチウムがあるかということだと述べています。「この程度のレベルであれば、例えば魚の数が激減しない限り、海洋生物に問題はありません」。

しかし、一部の科学者は、海洋放出による影響を予測することはできないと述べています。ジョージ・ワシントン大学のエネルギー・環境法の専門家、エミリー・ハモンド教授は、「トリチウムのような放射性核種に関わる課題は、科学が完全に答えられない問題を内包していることだ」と言います。

米国海洋研究所協会は、2022年12月、日本のデータには納得できないとの声明を発表したことをBBCも報じています。これは、上記のナショナルジオグラフィックの記事で紹介したとおりです。

また、ナショナルジオグラフィックの記事にも登場したハワイ大学のロバート・リッチモンド氏は BBC に次のように語っています。 「私たちは、日本が水や堆積物、生物に何が入り込んでいるのか検出できないだけでなく、もし検出されたとしても、それを除去する手段がないことを非常に懸念している」。

グリーンピースなどの環境保護団体は、さらに踏み込んで、南カロライナ大学の科学者が2023年4月に発表した論文 [5] を紹介しています。グリーンピース東アジアのシニア原子力スペシャリスト、ショーン・バーニー氏は、トリチウムは摂取された場合、「繁殖力の低下」や「DNAを含む細胞構造の損傷」など、動植物に「直接的な悪影響」を及ぼす可能性があると述べています。

この論文 [5] は前のブログ記事でも引用していますが(→放射能汚染処理水放出と今後の影響)、エルゼビアのプレプリントサーバー"SSRN"に投稿された査読前論文です(下図)。

著者らは、トリチウムに関する70万件以上の文献に目を通し、トリチウムの生物学的影響に関する何らかの側面を扱った約250の研究にたどり着きました。そして、そのレビューから導いた最初の結論は、これほど多くの人が関心を寄せている話題にもかかわらず、驚くほど研究が少ないということでした。

ヒトのがんに対するトリチウムの影響に関する研究は報告されておらず、自然界におけるトリチウムの影響に関する研究もほとんどありませんでした。トリチウムの影響に関する研究の大部分は、実験室のモデル生物を用いて行われており、自然条件への外挿は困難でした。

著者らが導いた第二の結論は、トリチウムは比較的良性の放射線源であるという一般的な考え方に反して、重大な生物学的影響を及ぼす可能性があるということです。すなわち、発表された研究の大部分は、特に内部被ばくに関する被ばくが、DNAへの損傷、生理学特性と発育の障害、生殖能力と寿命の低下などの生物学的影響を及ぼし、がんを含む疾病リスクの上昇につながる可能性があることを示していました。著者は、「トリチウムは非常に過小評価されている環境毒素」であり、もっと精査されるべきだと主張しています。

おわりに

今回の海洋放出については、トリチウムのレベルが低ければ、海洋生物に影響がない限り、安全だと主張する専門家が大部分です。世界の原発は、トリチウム水(HTO)を日常的に排出していますが、これはあくまでも HTO の影響をベースにした規制基準での運用であって、世界の多くの専門家もこの基準で、福島処理水放出を捉えているわけです。

その意味では、中国をはじめとする世界の原発の年間トリチウム排出レベルよりも低いから福島海洋放出は安全だという主張を繰り返しても議論はそれ以上進みません。規制基準上は、世界のどの原発排水のトリチウム量も「安全」なのですから。

とはいえ、「安全」とする声は、どちらかと言えば、現象をできるだけ単純化、先鋭化して考える分野(物理、化学)の科学者に多いような気がします。物事を相互的に、総体的に、複雑化して捉える必要がある分野(海洋生物学、生態学)の科学者は、より慎重で批判的な見方をしている印象です。そして、いずれもが現時点での見解であり、これからのことについては IAEA の見解 [3] と同様に、その都度見直す必要があるという立場が伺えます。

問題は、この先「科学的根拠」を強調する日本政府や東電が、透明性ある科学的事実を積み重ね、その知見に耐えうるか、ということなのです。つまり、「トリチウムレベルが基準より低いから」ではなく、これから起こるであろう様々な現象と潜在的実害を的確に捉え、なお科学的根拠を盾にして国内外の批判に耐えられるかということです。

原発トリチウム排出基準は運用上の話であって、その影響については海洋生物での濃度がバックグランド(HTO)と平衡化できるという前提に立っていますが、実際の食物網(food web)の中では有機トリチウム有機結合トリチウムの動態と持続性が複雑で未解明な部分が多く、海洋生物に及ぼすトリチウムの影響に至っては全く不明です [5]。まさに、「トリチウムのような放射性核種に関わる問題は、科学が完全に答えられないことだ」という海外の科学者の指摘どおりです。議論に必要なデータがないのです。

世界の原発排出水と福島処理水が決定的に違うのは、前者がトリチウムだけで済む話が、後者はメルトダウンした燃料デブリに直接触れた汚染水の処理物であり、トリチウムのみならず、様々な放射性核種を考慮しなければいけないことです。古典的な発想である「基準以下に希釈すればOK」というレベルで留められる話ではなく、科学的根拠の看板を掲げるためには、実際に海洋で起こる現象と影響をきちんと捉えなければいけません。実際上は、トリチウムよりも様々な核種の相加的影響が問題になることを考えると、これらのきちんとした追跡調査が必要になります。

追跡調査には、正確性と透明性が要求されますが、果たして実現できるでしょうか。たとえば、東電の5年前のデータを見ると、福島第一原発の20 km圏内の魚体中のトリチウム濃度について、遊離自由水として微量検出されているのに対し、有機結合型は不検出となっています。食物網の関係があるので、一般的に原発周辺環境では、トリチウム水より魚体の有機トリチウムの濃度が1以上になるのが普通であり、このデータはとても不思議です。

ちなみに、英国の原発沿岸の分析では、海水中のトリチウム 10 Bq kg−1 に対して、同海域のヒラメの有機トリチウムでは 105 Bq kg−1(乾燥重量)と記録されていますので [6]、湿重量当たりで比較しても有機態で約1,000倍の値になっています。

引用文献・記事

[1] Blume, L. M. M.: Japan releases nuclear wastewater into the Pacific. How worried should we be? National Geographic August 24, 2023. https://www.nationalgeographic.com/premium/article/fukushima-japan-nuclear-wastewater-pacific-ocean

[2] Khadka, N. S. : The science behind the Fukushima waste water release. BBC News August 26, 2023. https://www.bbc.com/news/world-asia-66610977

[3] IAEA: IAEA comprehensive report on the safety review of the ALPS-treated water at the Fukuchima Daiichi Nuclear Power Station. July 2023. https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf

[4] National Association of Marine Laboratories: Scientific opposition to Japan’s planned release of over 1.3 million tons of radioactively contaminated water from the Fukushima-Daiichi Nuclear Power Plant disaster into the Pacific Ocean. -December 2022. https://www.naml.org/policy/documents/2022-12-12%20Position%20Paper,%20Release%20of%20Radioactively%20Contaminated%20Water%20into%20the%20Ocean.pdf

[5] Mousseau, T. and Todd, S. A.: Biological consequences of exposure to radioactive hydrogen (tritium): A comprehensive survey of the literature. SSRN posted April 17, 2023. https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=4416674

[6] McCubbin, D. et al.: Incorporation of organic tritium (3H) by marine organisms and sediment in the severn estuary/Bristol channel (UK). Mar. Pollut. Bull. 42, 852–863 (2001). https://doi.org/10.1016/S0025-326X(01)00039-X 

引用したブログ記事

2023年8月28日 放射能汚染処理水放出と今後の影響

      

カテゴリー: その他の環境問題