Dr. TAIRA のブログII

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PCR検査の精度と意義ー神奈川県医師会の見解

カテゴリー:感染症とCOVID-19

先のブログ記事「 PCR検査の精度と意義 」で、日本ではPCR検査の「感度」や「特異度」を持ち出しながら、PCRの精度が悪いとか、検査は無意味という見解が多くみられることを紹介しました。この見解は、もっぱら「検査を広げると医療崩壊が起こる」という不思議な理屈から来るもので、その根底には厚生労働省と政府専門家会議が掲げたクラスター対策における「PCR検査を重症化しやすい患者の確定に集中適用する」という当初の方針があります。

当該ブログを書いた後に、関連のウェブ上の記事を探索していたら、以前見られたページがあちこち削除されたり、更新されていることに気づきました。ひょっとしたらと思い、ブログで引用した文献・記事を念のためにチェックしてみたら、そこで文献 [9] として引用していた「神奈川県医師会:PCR検査の特性と限界. 2020年5月20日」がウェブ上で見当たらなくなっていました。もちろん当該医師会のホームページは存在しますが、私が引用していたURLをクリックすると、もはや 「PCR検査の特性と限界」というページは出てきませんでした。

代わりに出てきたページ [1] には、次のようなことが書かれていました。

緊急事態宣言が解除されました、とは言っても、以前と同様の生活に戻れるわけではありません。そのような中でもCOVID-19を意識しつつ、根本的な解決策が示されるまでは社会生活の維持と感染対策の両輪を考え、前に向かって進んでいかなければならないはずです。新しい生活様式や新しい日常に向かって、ホームページの刷新を目指しております。

これはどういうことでしょうか。おそらく、国が検査を拡充したり、唾液検査を認めるといった従来の方針を変更しつつあることに伴い、「PCR検査を医療資源として守るために、それを拡大しないという理屈ではまずい」という流れが出てきたことによるものでしょう。それはそれでいいのですが、PCR検査を限定使用すべきという方針のために、検査の精度が低いとか、限界があるとか、無意味とか、意図的に情報を捻じ曲げてきたことに対する説明責任はあるのではないでしょうか。

そこで削除される(更新される)前のページのスクリーンショットをここに挙げて、何が書かれていたかを説明していきます。図1がその消去された「PCR検査の特性と限界」のページです。

同様な見解は、神奈川県医師会の「かながわコロナ通信」にも示されていて、ご丁寧に自民党河野太郎議員がツイートで紹介しています。

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図1. 神奈川県医師会のホームページの更新される前に掲載されていたページ「PCR検査の特性と限界」.

図1文字が小さいので、その一部を拡大したものを図2–4に示します。図2には、PCR検査の感度と特異度が持ち出されています(図2赤枠上)。そして感度は70%と記されています。真ん中の赤枠の記載では、特異度99%とされています。そして赤枠下では、「偽陰性の人が街に出て安易に他人と接触することで市中感染が広がることになるのです」と文が続きます。

先のブログ記事「PCR検査の精度と意義 」でも指摘しましたが、これらはまったくの曲解と誤謬です。

f:id:rplroseus:20200608201730j:plain図2. 図1の一部の拡大図-1.

図3には、「偽陽性医療崩壊と密接につながっているので重要です。偽陽性という存在がある限り、PCR検査を増やせば増やすほど、感染者は確実に増えてしまうのです」とあります。そして、忽那賢志医師(国立国際医療研究センター)のウェブ記事 [2] を引用しながら、〇〇人の感染者が見逃されてしまうという図4への展開が続きます。この忽那氏によるPCR検査に関する偽陰性偽陽性に関する主張が、そもそも誤謬なのです。

f:id:rplroseus:20200608201805j:plain図3. 図1の一部の拡大図-2.

図4には、実際の感染者を4400人として、感度を70%とすると、検査で陽性と判定される人は3080人となり、1320人もの人が偽陰性と診断される、としています。そして、1320人が見逃されて感染源になると続けています。

f:id:rplroseus:20200608201827j:plain図2. 図1の一部の拡大図-3

この論理の誤りは、前回指摘したとおりです。すなわち、PCRはCOVID-19の唯一の確定診断に用いられてきましたので(現在は抗原検査も確定診断に加えられている)、感度70%と決めること自体が誤りです。1320人が偽陰性だというなら、その全員がどこかでPCRで100%陽性とならなければ、話が成立しません。それが保証されないと「偽陰性だった」ことが証明されません。しかし感度70%という固定値を仮定すると、どれだけ検査しても70%しか陽性にならず、100%にするためには最低6回は検査を繰り返さなければならないというおかしな話になります。

偽陰性をいう場合には、比べる対象として100%陽性と確定された人数(つまり検査の感度100%)が、ベースにならなればいけません。今のところ確定診断としてPCR検査以上の技法はないので、感度は決められず(とりあえず100%とするしかない)、もし感度を言うなら、その100%と比べた時系列で異なる検体の偽陰性の確率しか言えないということになります(つまり偽陰性は2回以上検査をして必ずどこかで陽性が出ることで確定する)。そして、その大きく変化する偽陰性の確率(感度)の中で、いかに他のアプローチも含めて、感染の疑いを排除せず、総合判定するかというところが課題なのです [3, 4]

このようにPCR検査の「感度」や偽陰性の問題を持ち出して、PCR検査の精度が低いとか、限界があるとかいいながら、検査は意味がない、広げるべきでないと一般人を煙に巻く話は、とくに医療の専門家(いわゆる医クラ)から出されている場合が多く、無用の混乱を招いています。元はと言えば、クラスター戦略の中でPCR検査を医療資源としてのみ考え、それを守りたいという、厚労省、政府専門家会議、および関連学会のスクラム体制の方針から派生するものあり、かつ日本独特の現象でもあります。

この方針の責任の大きさは、受診の目安に伴う保健所での相談のハードルの高さ、および医師から検査へのアドバイスの流れの悪さを生んでしまったということであり、いわゆる検査の目詰まりの主因を作っていたということになるでしょう。そして多くの有症状者の医療アクセスへの制限を起こした結果、無用の重症者や死亡者の数を増やした可能性もあります。

一方で、上記の「医クラ」とは異なり、多くの医療専門家は、感染症拡大予防対策としての「検査と隔離」の重要性に鑑み、検査の拡充を訴えてきました。国や行政はやっと方針の変更に傾き、検査が拡大されるようになってきています。

海外の臨床検査としてのPCRの精度に関する論文を見渡しても、偽陰性を持ち出して「検査は意味がない」とか「広げるべきではない」とか「むやみに行なうべきではない」とする見解は見当たりません(たとえば、Kucirkaら [3]、Woloshinら [4] の論文)。それらをなぜか曲解しているのが日本の医クラのみなさんです。そしてこの曲解を誘導しているのが忽那氏 [2] などにみられる論調です。

海外の偽陰性の論文 [3, 4] では、ベイズ定理で偽陰性の発生確率を論じていますが(そこでの数字自体はミスリード)、すべて、偽陰性という問題をいかにして(たとえば臨床上、疫学上の情報をも併せて)克服していくかが課題として展開されています。つまり、偽陰性が問題なのではなく、偽陰性の可能性を「陰性」と誤診断してして感染を排除してしまうことが問題なのです。

そして検査が、感染拡大を防ぐための重要ツールであるという共通認識があります。最近ランセット誌に出された論文では、あらためて「検査と隔離」が感染症抑制対策に最重要であることが示されています [5]

引用文献・記事

[1] 神奈川県医師会: PCR検査の特性と限界. 2020年5月20日. https://kanagawa-med.or.jp/corona_news/pcr%E6%A4%9C%E6%9F%BB%E3%81%AE%E7%89%B9%E6%80%A7%E3%81%A8%E9%99%90%E7%95%8C/(削除済)

[2] 忽那賢志: 今日から新型コロナPCR検査が保険適用に PCRの限界を知っておこう. Yahoo Japanニュース. 2020.03.06. https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200306-00166273/

[3] Kucirka, L. M. et al.: Variation in false-negative rate of reverse transcriptase polymerase chain reaction–based SARS-CoV-2 tests by time since exposure. Anal. Int. Med. May 13, 2020. https://www.acpjournals.org/doi/pdf/10.7326/M20-1495

[4] Woloshin, S. et al.: False negative tests for SARS-CoV-2 infection — Challenges and implications. N. Engl. J. Med. Published June 05, 2020. https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2015897

[5] Li, Z. et al: Active case finding with case management: the key to tackling the COVID-19 pandemic. Lancet Published June 04, 2020.  https://doi.org/10.1016/S0140-6736(20)31278-2

引用拙著ブログ記事

2020年6月1日 PCR検査の精度と意義

                

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