Dr. TAIRA のブログII

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免疫負債、免疫不足、そして免疫疲弊

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2024年)

はじめに

COVID-19 が世界的に流行する中、人間の健康と免疫に及ぼす影響を説明するために、新しい用語が登場しました。その 1 つが「免疫負債(immune debt)」という言葉です。これは 2021 年に Cohenら [1] によって提唱されました。非医薬的介入(non-pharmaceutical intervention、NPI)が一定期間続くと日常的な病原体への曝露が減少し、それによって集団の免疫力が低下し、社会生活が元に戻るにつれて感染症が急増する可能性があるという考え方です。

この直感的な説話は、昨今の感染症の急増をうまく説明できるために、科学分野やニュースメディアで急速に広まりました。特に小児感染症における初期反応の弱体化と感受性の増加を説明するために用いられてきました。日本のテレビやその他のメディアに登場する専門家も、こぞってこの仮説を支持する立場から感染症の増加を説明していました。

一方で、免疫負債のメカニズム、定義、および「返済 」の基準に関して疑問も投げかけられています。このブログでも、この仮説を否定的な立場から解説しています(→免疫負債?感染症流行に際して免疫負債論を考える )。

この免疫負債仮説に対する批判的立場から、新しい代替用語も出てきました。ここで紹介します。

1. 免疫負債批判と新しい用語

Luweng Zhang [2] は、今年、Infection Disease Now 誌上の論説(レター)で「免疫負債は科学的に欠陥のある用語である」と批判しながら、新しい用語を提唱しました。ニュアンスが異なる「免疫不足(immune shortage)」という言葉です(下図)。これはどういう考え方なのでしょうか。

Zhang は免疫負債の欠陥について、下記の三つの点を挙げています。概ね同意できるものですが、仮説的に免疫不足が考えられるとして、それがどういう理由で起こるかについては、いくつかの考えられる例を挙げながらも具体的証拠には触れておらず、測定可能な免疫への影響に関する実証が必要だと述べているだけです。

感染症は個人レベルでの病原体への曝露の順序に基づいて、一次感染と再発感染に分けられます。一次感染とは最初に遭遇する感染であり、重症化することが多くなります。一方、再発感染とは、その後に遭遇する感染ですが、一次感染の免疫のために症状が軽くなる傾向にあります。

個人レベルでの再感染はブレークスルー感染とも表現されます。集団レベルでも同様の感染現象が存在します。COVID-19 パンデミックは、SARS-CoV-2 の一次感染と様々なその変異体の反復感染によって引き起こされてきました。

上記の観点から、Zhang は、免疫負債の考え方には、第一に、基本的に集団レベルでの一次感染イベントと再発感染との順序・履歴を省略している(つまり、一次感染の影響を考慮していない)という大きな欠陥があると指摘しています。

第二に、社会が再開されるにつれて、集団全体の感染症が復活するのは、おそらく複数の要因が重なるためであって、NPI による病原体暴露減少に限定されるべきではないと主張しています。病原体への曝露の減少を特別視することは、逆に、遺伝的、環境的要素の累積的な重みを軽視することになります。NPI の影響にかかわらず、一つの感染症に対する免疫力は時間の経過とともに自然に低下し、その変異体は事前の免疫防御を回避することができるというのが、この主張の理由です 。

第三に、「免疫負債 」という言葉の不適切さを挙げています。この用語は、ヒトと病原体との相互作用を、取引や金銭的な関係として捉える表現であるということです。私たちの免疫システムは、曝露、反応、記憶の複雑な力学に従って進化しています。このような免疫システムのメカニズムは、債権と債務で計算できるわけではありません。

Zhang は、NPI 期間中に被曝量が減少したことを「負債」の発生ととらえることは、自然が私たちに返済を求める「利子」を請求しているようなものだと述べています。私たちの免疫システムは、継続的な刺激と適応によって維持されているのであって、病原体に対する負債を清算することによって維持されているわけではありません。せいぜい、曝露の頻度が減れば、曝露が再開されるまでの間、一時的に特定の抗体や細胞の記憶プールが損なわれることがありますが、この一過性の衰えは、決して負い目と等しいというわけではないということです。

免疫負債という言葉は、2022年からメディア、SNS 上で爆発的に広まりました。この背景には、明確なパンデミックのシナリオを渇望する社会や、物理的な閉鎖に対する不安、不確実性を増幅させるメディアや SNS の顕著な傾向とそれに共鳴する人々との関係があったと思われます。

しかし、このような使い方が広まりすぎていることは危険であり、たとえ困難な状況であっても、正確な一般市民の理解を優先する責任ある科学コミュニケーションが緊急に必要であると Zhang は強調しています。免疫と病原体に関する有意義な議論に一般市民を参加させることは、複雑な免疫学の概念や脆弱性の理解を深め、最終的には疾病予防とワクチン受容を促進するという、計り知れない価値を提供するものです。

Zhang が、免疫負債の代替概念として提案しているのが「免疫不足」という用語です。これは、集団レベルで特定の病原体に対する免疫応答が不十分で、免疫力が低下している状態を指します。その影響としては、循環抗体レベルの低下、メモリーB/T細胞プールの減少、自然防御機能の低下、感染感受性の亢進などを挙げています。このような仮説が成り立つには、病原体への曝露の減少に直接起因する、測定可能な免疫への影響を実証するための広範な調査が必要であることは言うまでもありません。

免疫力不足は、一次感染と再発性感染の両方をカバーする、不十分な免疫反応という概念を中心としたものであり、一般の人々にとっては直感的にわかりやすいものです。科学的には、「免疫力不足」とは、ワクチン接種の不備、自然感染、再発性病原体に対する免疫力の低下など、感染症に対する集団のカバー力の不足を意味します。

免疫不足という用語は、複数のメカニズムが関与する多様な形の免疫力不足を包含する、より広範な語彙の一部として、現在のパンデミックにおける NPI の影響という仮説と免疫の概念をより正確に捉えられかもしれないと Zhang は述べています。

が、個人的には「免疫〇〇」という用語は、いずれも曖昧な概念で誤解を生みやすいと感じます。

2. Zhang への反論

上記の Zhang の免疫負債批判に対して、免疫負債の提唱者である Cohen ら [3] は反論しています。「免疫負債」から「免疫不足」に名称を変えても、状況は変わらないというのです。問題は、COVID-19 パンデミックを制御するために必須であった NPI の適用が、多くの病原体に対する免疫系の曝露を制限し、これらの措置が解除されたときに多くの疾患の発生率を増加させたという事実であり、免疫負債という言葉でも意味論ではなく、むしろその内容が重要だと述べています。

Cohen らは、パンデミックが始まって間もなく、病原体への曝露が制限されることによる中期的な影響を最初に想像し、より顕著で、より予測不可能な疫病の急増を仮定しました。彼らは、Zhangへの反論で、「事実は私たちの正しさを証明した」と強調しています。

そして、元の彼ら自身の記事に関して、用語の選択ではなく、以下の 2 点について十分に強調しなかったことに後悔しているとも述べています。一つは、集団的、人口的な 「負債 」あるいは 「不足 」の性質が、大規模な事象の発生を可能にしている、ということです。もう一つは、複数の病原体が同時に 「負債 」を抱えるということは、同時感染がより頻繁に起こり、状況をさらに悪化させるという点です。

Cohen らは、免疫負債という用語が十分に広がったことに自信を持っているのでしょう。何人かの人々を悩ませ、挑戦させていることは承知しているが、提起された仮説に対する根本的な批判を抜きにしても、この用語がグーグル検索や SNS、そして文献上においてかなりの重要性を持っていることは言うまでもない、と述べています。

最後に、免疫負債の意味論よりも、観察された現象を予測し、説明しようとし続けることが重要であると主張し、「負債」という言葉を「不足」という言葉に置き換えるという著者の試みが成功することを祈っていると皮肉っています。

3. COVID パンデミックを契機とした免疫低下?

Zhang が述べたように、COVID-19 の流行を契機として感染症に対する集団免疫が低下したとしても、免疫負債よりも、もっともらしい、いくつかの理由が考えられます。これについては先のブログ記事でも紹介しています(→感染症流行に際して免疫負債論を考える)。

その一つは COVID-19 の感染が免疫を損なうと言う考え方で、いくつかの論文があります。その一つは、Cheong ら [4] の研究で、COVID-19 の重症例が免疫系に長期にわたる変化を引き起こすことを示しました。この研究では、免疫系の一部である白血球を産生する幹細胞に焦点を当て、重症のCOVID-19 から回復した人の幹細胞は、健康な人の細胞よりもより多くの白血球を産生し、その白血球はより多くの炎症シグナルを産生することが示されています。これらの変化は、重度のCOVID-19から回復した後、最長 1 年間続きました。

この研究は、重度 COVID からの回復者を対象としており、比較的小規模なものであったため、研究者たちは遺伝子発現の変化と健康状態の悪化との直接的な関連性を立証することはできてはいません。しかし、この研究は、少なくとも重症 COVID-19 が免疫系に長期的な悪影響を与える可能性を示しています。

最近では、COVID-19 流行下で MDA5 自己免疫症例が急増したことが報告されており、バイオインフォマティクスの知見から、既知の自己免疫性肺疾患メカニズムとの免疫病理の共有が示唆されています [6]。MDA5(Melanoma differentiation-associated gene 5)はメラノーマの分化に関連した RNA ヘリカーゼ遺伝子です。MDA5 はウイルス感染に応答したインターフェロン産生を促進させることが知られており、自然免疫系におけるウイルス感染感知と抗ウイルス応答を引き起こす経路で重要な役割を果たしていると考えられています。

もう一つは、mRNA ワクチンのブースター接種と免疫低下との関連性です。ブースター接種と COVID-19 感染、あるいは他の病態の有病率増加との間に相関関係があることを示す状況証拠が増えてきています。Alberto Boretti [5] の論文はこのうちの一つです。mRNA 型の COVID-19 ワクチンを複数回接種すると、IgG4 抗体のレベルが非常に高くなるか、CD4 + およびCD8 + T 細胞の活性化が損なわれる可能性があるとして、ブースター実施の費用対ベネフィット比への影響について、慎重な検討が必要であると指摘しています。

このような中で、免疫疲弊(immune exhaustion)という考え方が提唱されています。これは、一般的に、免疫応答が繰り返し刺激されることにより、効果が低下したり、減弱したりする状態を指します。それゆえ、Boretti は、SARS-CoV-2 が継続的に進化している中で、特に免疫不全などのリスク集団において、ブースター投与を繰り返すことによる有効性と安全性については、長期的研究が必要だとしています。

ブースター投与が推奨されてきた理由は、特に新たに出現したウイルス変異体に対応する免疫の強化・拡大であったわけですが、この推奨は十分に科学的に証明されたものではありません。一方でワクチンの副作用は軽視されてきました。これは特に免疫不全患者の場合に関連し、全体的な費用対便益比がマイナスに傾く可能性があります。

SARS-CoV-2 は進化し続けており、新しい変異型が出現するにつれ、免疫応答を含む選択圧に適応し、免疫回避する能力と伝播力を強化していく傾向にあります。このようなウイルスの継続的な変異と新たな変異体の出現は、免疫不全者を含む脆弱な集団に高いリスクをもたらす可能性があります。免疫不全者は持続感染のリスクが高く、ウイルスが複製・進化する機会を提供している可能性があり、このような環境は、さらなる変異体の出現につながる可能性があります。

おわりに

Cohen ら [1] が提唱した免疫負債論は、NPI による病原体への曝露の減少が集団免疫を低下させるため、 NPI の解除によって感染症が増えるという考え方です。この概念は、Zhang [2] が指摘するように、一次感染の影響を無視しており、科学的にも証明されていないことは前に述べたとおりです(→感染症流行に際して免疫負債論を考える)。

一方で、Zhang [2] が提唱する免疫不足も、それがあるとしても何が要因かについては、直接的な証拠を持って説明されていません。可能性としては、COVID-19 感染や COVID ワクチン接種(ブースター投与)があると思われますが、それらの関わりの証明については今後の研究に待つしかないでしょう。

COVID ワクチンの負の影響については、証明することは容易ではありません。なぜなら、ほとんどの人が自然感染するかブースター接種を受けているからです。少なくとも、COVID に感染していない健常者において、非接種者とブースター接種とで比較するという条件が必要です。このようなデータがない現状において、COVID ワクチン接種のリスク/ベネフィット比を証拠を持って論じることは不可能でしょう。

引用文献

[1] Cohen, R. et al.: Pediatric Infectious Disease Group (GPIP) position paper on the immune debt of the COVID-19 pandemic in childhood, how can we fill the immunity gap? Dis. Now. 51, 418-423 (2021). https://doi.org/10.1016/j.idnow.2022.12.003

[2].Zhang, L.: From imprecise “immune debt” to nuanced “immune shortage” Infect. Dis. Now 54, 104894 (2024). https://doi.org/10.1016/j.idnow.2024.104894

[3] Cohen, R. and Levy, C.: Immune debt or immune shortage: The controversy continues – “Season 3 episode 1”. Infect. Dis. Now. 54, 104897 (2024). https://doi.org/10.1016/j.idnow.2024.104897

[4] Cheong, J., et al.: Epigenetic memory of coronavirus infection in innate immune cells and their progenitors. Cell. 186, 3882-3902.e24 (2023). https://doi.org/10.1016/j.cell.2023.07.019

[5] Boretti, A.: mRNA vaccine boosters and impaired immune system response in immune compromised individuals: a narrative review. Clin Exp Med. 24, 23 (2024). https://doi.org/10.1007/s10238-023-01264-1

[6] David, P. et al.: MDA5-autoimmunity and interstitial pneumonitis contemporaneous with the COVID-19 pandemic (MIP-C). eBioMedicine. Published: May 8, 2024. https://doi.org/10.1016/j.ebiom.2024.105136

引用したブログ記事

2023年10月21日 感染症流行に際して免疫負債論を考える

2022年11月22日 免疫負債?

                            

カテゴリー:感染症とCOVID-19 (2024年)