Dr. TAIRA のブログII

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頭が悪いと差別的、右翼的になる?-SNS による偏見の助長

カテゴリー:社会・政治・時事問題

はじめに

穏やかな言い方ではありませんが、 「人種差別や偏見に屈する人は、単に頭が悪いだけかもしれない」という研究報告があります。カナダ・ブロック大学の心理学者 ゴードン・ホドソン(Gordon Hodson)博士らの研究で、知能の低い子どもほど、大人になっても偏見に満ちた態度を持ちやすいと指摘しています [1]。今から10年以上も前のことであり、ウェブ記事 [2] でも紹介されました。

彼らの研究以前にも、教育レベルの低さと偏見のレベルの高さとの間に関連性があることが判明していました。ホドソンらの研究は、さらに踏み込んで、知能との相関性を明らかにしたことで、従前の説をより強化するものでした。その後の同様な研究は、大凡この考え方を支持しています [3, 4, 5]

そして、ソーシャルネットワークサービス (social networking service, SNS) の発達は、差別、偏見、デマを助長しているように思えます。これらの関連研究を振り返りながら、SNS 上で蔓延するこれらの差別的発言や誹謗中傷、そして分断の要因を考えたいと思います。

1. 認知能力と差別、偏見、右翼思想との関係

ホドソンら [1] は、英国の大規模なデータセットを用いて、1958 年および 1970 年に生まれた子どもの 10~11 歳時点での知能指数を調べ、その後子供たちが 30 歳または 33 歳時点で、どれだけ保守的な思想や偏見を持っているか(社会的保守主義、人種差別主義のレベル、人生の極端さ)を調べました。

第一の視能指数(IQ)の調査では、単語、図形、記号の類似点と相違点を見つけるテストを用いて、言葉による知能と非言語的知能が測定されました。2 つ目の調査では、数字の想起、図形を描く課題、単語の定義、単語間のパターンと類似点の識別など、4 つの方法で認知能力が評価されました。

そして大人になってからの思想調査では、「母親がフルタイムで働いている家庭は不幸である(家庭生活が苦しくなる)」、「学校は子どもに対し、権威に従うよう教育すべきである」、「他の人種と一緒に働きたいと思わない」などの質問に答えさせるものでした。これらの回答に基づいて、社会的保守主義や人種差別主義のレベルが評価され、さらに学歴や社会経済的地位などの要因を含めて分析が行われました。

分析の結果、IQ の低さと保守的なイデオロギーや差別的な偏見には明確な相関がみられました。つまり、知能の低い子どもほど、大人になっても偏見に満ちた態度を持ちやすく、社会的に保守的なイデオロギーに傾倒しがちになる(つまり、右傾化しやすい)ということがわかったのです。

この研究の特徴は、知能、偏見、および政治的思想の 3 つの変数の組み合わせで傾向を見出したことです。世論調査のデータや社会科学、政治学の研究によれば、偏見は右翼的な思想を持つ人に多く、他の政治的な思想を持つ人よりも多く見られることがわかっていますが、ホドソンらの研究はこれに知能レベルを加えて、従前の見解を支持したということになります。

偏見は非常に複雑で多面的なものであり、偏見を助長するあらゆる要因を明らかにすることが重要ですが、実際上は容易ではありません。この意味で、ホドソンらの研究は「なぜ偏見や差別が存在するのか」ということに対して、要因の一つとして知能レベルがあることを発見したことで非常にユニークだと思われます。

また彼らの研究では、認知能力が低い人々は、異なる人種とあまり接触しない傾向があることも明らかになりました。異なる人種間での接触に挑戦することは、お互いの偏見を減らす機会となりますが、認知能力の低い人々にとっては、このような精神的挑戦や訓練は負担が大きすぎる可能性を示唆しています。この発見は、集団間の接触が精神的に困難で認知力と精神を消耗させることを示す別の研究結果とも一致しています。

さらにホドソンらは、米国民を対象とする二次分析で、同じ教育を受けている集団 254 人を抽象的推論の能力の違いに基づいて比較しました。その結果、抽象的推論が苦手な人ほど人種差別者に当てはまり、同性愛・LGBT 嫌悪にも当てはまる可能性が高いことがわかりました。LGBT との接触が少なく、右翼的権威主義を受け入れていることが、この関連性を説明しました。

ベッキー・チョーマ(Beckey L. Choma) [4] は、右翼思想と認知能力の低さとの関係を踏まえながら、米国の成人を対象として、主観的数値処理能力が政治イデオロギーとどのように関係しているかについて調べました(下図)。その結果、客観的数的能力が低い人は、右翼権威主義および社会的優位志向の傾向があり、一般的、社会的、経済的連続性においてより保守的であることがわかりました。さらに、主観的な数的能力は右翼思想の指標と正の相関を示しました。

この結果をわかりやすく言えば、右翼思想を強く支持する人は、あまり支持しない人に比べて、自分は数字を扱うことが得意であると信じているにもかかわらず、実際の数字に関する課題の成績はより悪かったということです。

ホドソンらの研究では、知能指数を尺度として用いていましたが、チョーマらの研究の特徴は、非政治的な数値テストの成績に基づいて政治的イデオロギーとの関連性を見ていることです。一般的に、自分が数学が得意と考えている(主観的数学能力が高い)人は、実際に数学の成績がよい(客観的数学能力が高い)という相関性がありますが、右翼思想の人ではそれが当てはまらないことがわかったわけです。

この知見は、平均して、右寄りまたは保守的な人は、左寄りの人よりも成績がよくないか、多少悪いにもかかわらず、自分の数値処理能力を過大評価している可能性を示しています。これは保守派・右派が自信過剰になりやすいことの発見であり、政治や社会面で様々な影響を及ぼす可能性があります。

2. 上記論文の解釈と限界

認知能力が低い人々や世界の複雑さを理解するのが苦手な人々にとって、右翼思想がハマる可能性の理由はいくつかあります。社会的に保守的なイデオロギーは、秩序と既成の構造を言わば砦として主張するので、残念ですが、これらの特徴の多くは偏見を生む下地になっています。そして、その主張が知能に関係するならば、偏見が容易になくならないということも示すものです。

既成のやり方やルール、体制、構造を保守することは、基本的に今まで以上の知識を必要としません。それに依存することで、新たな認知能力の挑戦という試練にさらされることもなく、主観的な安心感を得ることが可能です。

一方、体制や構造を変革し、より良いものに創っていくというリベラルな考え方は、絶えず知識の吸収と蓄積がないと実践、維持するのが困難であり、認知能力の低い人にとっては相当な精神的負担になります。したがって、このような人たちにとっては、リベラル的思想は受け入れ難く、右翼的思想は受け入れやすいということになります。

一方で、異なる属性の人への接触のなさ、知識のなさは、それらに対する偏見を生みやすくなります。自分が接触したことがないタイプの人間や未知のことに対しては、それらにアクセスし、知る努力をすることよりも、偏見、差別、拒絶で対処することの方がはるかに楽(ある意味快楽的)であるからです。自ずから反体制主張批判、反知性主義に傾きます。

ホドソンら [1] の研究結果の説明は合理的ですが、もちろん限界性もあります。彼らの研究結果は、あくまでも相関性と平均値に基づく示唆であって、知能の低さが後の偏見を引き起こしたことを決定的に証明したわけではありません。これを証明するためには、ランダムに頭の良い人、悪い人、リベラルな人、保守的な人に振り分けて、検証を行う必要がありますが、そのような研究は実際上不可能です。

ホドソン論文は、低知能と社会的保守主義、右翼思想との間の関連性を示していますが、これは決してリベラル派がすべて優秀で、保守派がすべて愚かであると言っているわけではありません。上記したように、これは平均値の結果であって、医学・疫学・公衆衛生学分野のランダム化比較試験(RCT)のように、平均値から外れた部分では当てはまらない部分が出てきます。

例として、RCT で、開発されたワクチンが感染症の重症化予防に有効だと示していても、ある人にとってはワクチンそのものが致命的になる場合があります。同様に、平均身長は男性の方が女性よりも高いとはっきり言うことができますが、無作為に男女を選んだ場合、女性の方が背が高い場合も当然あります。平均値のデータを個に当てはめる場合は、注意しなければならないのです。

非常に聡明な保守派とそうでないリベラル派の例や、非常に不寛容なリベラル派の例もたくさんあります。私には右翼思想の友人が一人いますが、高学歴(大学院修了)で歴史や政治経済に非常に詳しく、保護主義的な面はありますが、不寛容でもなく差別主義者だとも思えません。

ちなみに彼は、12年前、ホドソンらの論文を「これ面白いから」と言って、私に教えてくれた人です。彼は、人間は元来不完全であるので、リベラル派が考える改革は、より根源的な思想に基づかない限りナンセンスと主張しています。一方で、戦後日本の対米従属的外交を厳しく批判し、いわゆるネトウヨを「認知欠乏症」と評しています。

高学歴で、それなりの社会的立場のある人の中でも、偏見や差別は見られます。このようなケースでは、専門分野での知識はあるのに、偏見の対象としている部分では恐ろしく無知であること、それにもかかわらず発言していることが多いです。下で述べるように、このような人は閉鎖的認知スタイルである可能性があります。

言い換えれば、特定のイデオロギーが愚かさに関係しているのではなく、極端な、あるいは偏狭な考え方、および知識のなさ全般が愚かさに関係しているということなのでしょう。認知能力が低いと、自己肯定と表現の基礎が現体制と現状維持ということになり、単純な方法でしか世界を表現できません。その結果、知らない人や知らない情報に脅威や不安を抱き、それが偏見や差別という形で現れ、その正当化にはデマさえ流すということになるのでしょう。

チョーマら [4] の研究でも、平均値であることに留意する必要があります。すなわち、数値テストの成績が悪い人は、保守的になり、右傾化しやすいという傾向はあっても、この成績が良いからと言って右翼的にはならないとは言えないのです。数学が得意ではあるけれども、保守的な人はたくさんいます。要は、どのくらい多様な情報や人に接触できるかに依存するということでしょう。

チョーマらの結果を「過信」という面で解釈すると、認知能力があまり高くなく、右翼思想を持つ人の過信は政治的親和性によってさらに影響を受けたり、政治的親和性と結びついたりする可能性があります。一般的に、自信過剰であることは、戦争、起業の失敗、訴訟、臨床評価において正確ではないのに正確であると信じること、科学や歴史を無視することなど、現実世界において重大な結果につながる可能性があります。

2017年、当時のトランプ米大統領は、気候変動問題に関するパリ協定からの脱退を表明しました。彼は、米政府がまとめた気候変動に関する報告について「信じない」とも発言しました。この態度は、無知と過信現象が重大な結果をもたらす一つの例でしょう。

合理的解釈をせずに、逆に数字を過信することは、政治家の財政計画、国防に必要な資源の見積もり、気候変動や自然災害の管理、公的医療保険に影響を与える可能性があります。自信過剰は積極的開放思考の低下と関連していると報告されており [6]偏見を持つ人や右翼思想の人は閉鎖的認知スタイルである可能性があります [4]

3. 差別、偏見をなくす方法はあるのか

保守主義、右翼思想は、上記のように、知性を備えた人も傾倒しますし、自己防衛的な感情論が要因となることもあります。体制を砦とする思想構造からはどうしても偏見が生まれやすいものですが、やはりイデオロギー以上に、認知能力という要素が大きいと思われます。

では、知能が低いほど、思考範囲が狭いほど偏見や差別が持つ傾向があるとして、果たしてそれらを減らす方法はあるでしょうか。一つの単純な方法は、誰もが素晴らしいと思い込むことであり、別のグループの視点から物事を見ることの大切さであるわけですが、そもそも認知能力の低い人々、狭い認知スタイルの人々には、このような精神的な訓練は負担が大きすぎるようにも思われます。

例えば、SNS 上で差別、偏見、デマを飛ばす人は、それに関する一次情報にアクセスすることがまずありません。調べればすぐにわかることなのに、この作業が極めて不得手であり、自分の主張に一次情報を引用することはなく、代わりに相手の主張に含まれる確定した事実にでさえ「根拠を示せ」と言ったりします。

一例を挙げるなら、1937 年に旧日本軍が起こした南京事件南京大虐殺)の議論があります。南京大虐殺は、犠牲者数などの数字については不確定なものの、様々な資料から動かしようがない史実として学界でも確定していますが、これを否定する右翼思想の人は一定数いて、まず一次資料を無視するのが常です。

作家・百田尚樹氏の「日本国紀」(幻冬舎)や産経新聞の「歴史戦」の記事では、南京大虐殺否定論を展開しています。しかし、ここには、南京戦史資料などの一次資料は引用されず、証言を都合よくチェリーピッキングしたり、事実の創作さえあります。一方で、上述した私の右翼的友人は南京大虐殺を歴然たる事実として捉えていますし、教養ある保守系の人たちも認めていることが多いようです。

SNS 上での差別、誹謗中傷、デマが認知能力の低さに起因しているとするなら、おそらくそのような発言をした時点で、その影響について客観的に見る能力に欠けているのかもしれません(あるいは快楽的効果がある [後述])。客観的に見る目があるなら、そもそもそういう発言をしないからです。だとすると、認知能力に基づいて発せられた差別、誹謗中傷、デマをなくすことは、それに対する代償が具体的に課されない限り、きわめて難しいことかもしれません。

4. SNS の特性とドーパミン・ジャンキー

私が本格的にインターネットを使い始めたのは 1990 年代半ばです。もちろん、その頃はタブレット端末はなく、パーソナルコンピュータ(PC)でブラウザ(Netscape Navigator)を通して情報を得ていました。PC は最初からプルダウンメニュー画面だった Macintoch を利用していたので、利用環境の快適性は今とほとんど変わらないという印象です。ネット空間が変わったと感じたのは、SNS とモーバイル端末の登場からです。

2000年代半ば前後から、SNS の中心をなすファイスブックやツイッターが利用できるようになり、YouTube の動画配信が始まり、さらにスマートフォンで容易に SNS にアクセスできるようになりました。私は、特に、スマホSNS 利用ができる環境になって、決定的に世の中の言論空間が変化した(歪んだ)と感じています。

SNS の発達は、オンラインでの一定の情報共有空間を提供し、年齢、職業、地位などの属性や教養・認知能力に関わらず、誰もが簡単にモノを言うことを可能にしました。SNS のアカウントの匿名性やスマホ端末の利用という手軽さは、これに拍車をかけたと言えます。

以前の情報共有手段は、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどに限られていました。言わばメディアのプロ、言論人、ライター、識者などが提供する、編集済みの情報を一般人が受け取るのみというパラソーシャルな関係があり、情報が良い意味でも悪い意味でも「節度ある状態」に制御されていました。

ところが、SNS は認知能力や倫理観のレベルに関わりなく、個人での情報発信を可能にし、以前のような制御された情報のパラソーシャル構造は壊れたと言えます。スマホを利用すれば、アプリを開き、入力し、クリックするだけで、自分の言葉があらゆる人々に届くのです。ここでは、個人の認知能力も専門性も教養の程度も関係ありません。

これによってどのようなことが起こったか、それは悪い意味で言えば、情報空間のカオス化と偏狭化です。例えば、"X"上での専門家による専門性の高い投稿や論理的な投稿に対して、素人が平気で批評とも言えない悪口や誹謗中傷を浴びせている例は枚挙にいとまがありません。ラジオ、テレビ、活字媒体の時代には考えられなかったことが、全部可視化されてしまうのが SNS の欠点の一つでもあります。

情報空間の偏狭化という面では、デジタル・エコーチェンバーが私たちの思考を左右・増幅している現実があります。フィルター・バブルの時代にあって、私たちは、誰が自分と同じ考えを持ちそうか、誰と結びつくべきかを測るための不可欠な道具として、SNS やアプリを無意識のうちに頼りにするようになっています。ただ、SNSアルゴリズムは政治イデオロギーには影響しないという報告もあります。

スマホでのデジタル空間の利用は中毒性のリスクを高めていると言えます。電子画面越しに流れてくる情報の刺激は、絶え間ないドーパミンの供給に繋がり、たくさんのドーパミンが放出されるほど、またドーパミンの放出が速いほど、中毒性は高くなっていきます。電車内のみならず、エスカレータの上でも、歩いている時でも、食事をしている時でさえも電子画面に釘付けになっている姿は、その現れかもしれません。

"Dopamine Nation"の著者で、精神科医であるアンナ・レムブケ(Anna Lembke)教授は、スマホを「現代の皮下注射針(modern-day hypodermic needle)」と呼んでいます [7]

脳内で快楽と痛みは脳の同じ部分で処理され、快楽的な刺激の直後には、痛みを感じる部位に傾斜することによってそのバランスを保っています [7]。しかし、脳の快楽経路を過剰に刺激し続けると、経路は使わない時にドーパミン不足になり、やがて痛みのほうにバランスが傾いてしまいます。そうなると、不安、イライラ、抑うつなど、あらゆる依存性薬物の禁断症状を経験するようになり、快楽のためではなく、ただ苦痛を感じなくなるために、その薬物を求めるようになります。

スマホの手軽さ、ドーパミン・ジャンキー状態、匿名性は、SNS 空間のカオス化に拍車をかけていると言えるでしょう。ここで、自己の認知能力が低いままであれば、もとよりメディアリテラシーは向上されず、目についたものに、その意味を解釈することなく、反射的に食いつくということが起きます。スマホSNS を通した差別、偏見、誹謗中傷という行動が快楽報酬効果を与え、それへの耐性と禁断症状がさらに刺激的な発言へ誘導する危険性もあるのです。

5. SNS上で見られる偏見と分断の要因

差別や偏見を生みやすい事例の一つとして、移民問題があります。現代の政治と世論の最も重要な議論の一つです。シンガポール、オランダ、中国の共同研究チームは、移民に関するオンライン上の会話を分析し、SNSの利用性との関係を導き出しました [8]

この研究には、ソーシャルメディアの表現的・情報的利用を検証する 2 つの研究アプローチが用いられました。研究 1 では、シンガポールフェイスブックやフォーラム上のコメントについてコンピュータ分析を行い、SNS移民問題の議論どのように利用されているかに焦点を当てました。研究 2 では、個人レベルでのソーシャルメディアの利用を調べるために調査データを利用し、統合脅威理論の枠組みの中で、認知能力、脅威の認識、移民に対する否定的感情、SNS の利用との関係を検証しました。

分析の結果、SNS 上での移民に関する議論には、否定的な感情や、雇用競争や犯罪といった経済的影響に関する懸念が含まれることが多いことがわかりました。そして、SNS の利用率が高く、脅威の認知が高い人ほど、移民に対して否定的な感情を抱きやすいことが示されました。そして、ここが重要なところですが、SNSの利用率の高さ、脅威の認知、移民の否定の関係性は、認知能力の低い人ほど強いことがわかりました。

これらの知見は、移民に対する世論形成におけるデジタルプラットフォームの役割を実証しており、知覚された脅威が、どのように大衆に影響を与えるかを浮き彫りにしています。SNS 上の増幅された情報、あるいは偏狭化された情報が、世論形成に寄与している可能性を示唆しており、デジタル時代における態度形成のダイナミクスを理解するための重要な示唆を与えています。

さらに、偏見と陰謀論的信念の関係も明らかにされています。両者の関係については、心理学的文献は、一般化された見解を示していませんでしたが、フリードム(D. Freedom)は、この 2 つの現象が少なくとも 3 つの性質的前兆を共有していることを報告しました [9]。すなわち、イングループ・バイアス、右翼思想(具体的には右翼権威主義と社会的優位志向)、閉鎖性の必要性です。特に、これらは同じ個人に現れ、対象集団だけでなく信奉者にも同様の害をもたらす可能性を指摘しています。

ゴンザレス-バイヨン(Sandra González-Bailón)らは、米国のフェイスブックユーザーの集計データを用いて、2020年の米国選挙期間中の政治ニュースへの露出を分析しました [10]。その結果、イデオロギーの分離が高く、保守派とリベラル派の間に非対称性があり、政治ニュースのかなりの部分が保守的視聴者によって消費されていることがわかりました。

最も顕著な数字は、メタのファクトチェッキング・プログラムによって特定されたほとんどの誤報の共有にありました。これは均質な保守的なコーナーに存在し、リベラル側には同等のものがないことがわかりました。保守派の情報源はこの政治ニュースコーナーに多く存在し、フェイクとレッテルを貼られたニュースのリンクの 97% が保守的ユーザーの間で流通していました。

ここから、SNS上での偏見・差別、分断に関する要因が見えてきます。キーワードとして挙げるなら、低い認知能力、閉鎖的認知スタイル、保守主義・右翼思想への傾倒(権威主義、社会的優位志向)、低い SNS リテラシーと情報バイアスなどです。これらに、スマホ依存症、ドーパミン・ジャンキーが加わります。

おわりに

数々の文献情報により、一般論として、認知能力が低いと、閉鎖的認知スタイルであると保守主義、右翼思想に傾き、偏見と差別を持ちやすくなるというのは言えそうです。差別や偏見、デマ発信が認知能力に根ざすとするなら、これらをなくすことも難しい面があります。なぜなら、狭い認知スタイルからくる知識不足、情報不足、経験不足が原因だとしても、そもそもこれらを解消するための知的・精神的作業がこれらの人々にとっては難しいからです。

繰り返しますが、これはあくまでも一般論であって、個別的にはこれらに当てはまらないことも当然あり、逆はまた成り立たないということです。認知能力と知性が高い人が保守的傾向を示す場合もありますし、リベラル志向でありながら偏見を持つ人もいます。とはいえ、少なくとも、偏見や差別に関しては、左右に限らず認知能力や経験の程度に影響されることは言えるでしょう。

さらに、政治面で言えば、SNS がその性質上、保守 vs リベラル、党派性をますます二極化する傾向にあります。党派性とは単なる方向性の問題ではありません。つまり、自分の信念やアイデンティティが政治的に左寄りか右寄りか中道的かということと、その信念の強さや極端さによってより顕著になります。

神経心理学の文献によれば、一般的に世界の捉え方や反応に認知的硬直性の傾向がある人は、対象や刺激を白か黒かでとらえる傾向があり、そのために思考様式の切り替えや環境の変化への適応が難しくなると言われています。米国市民を対象した客観的神経心理学的テストに基づく分析では、民主党共和党への愛着が極端に強い人は、中程度または弱い人に比べて、これらの認知テストにおいて精神的硬直性が高いことがわかっています [10]

つまり、政治的信条の方向性や内容にかかわらず、極端な党派の人たちは同じような認知的プロフィールをもっている可能性があるということです。政治的に右翼か左翼か、保守かリベラルかだけを考慮したのでは、これらの性質は隠されたままです。

ここで引用したいくつかの研究は、なお、私たちの心と政治との関係について多くの疑問を投げかけるものです。偏見、差別、デマが認知能力に関わることだとしても、精神の硬直化、認知の柔軟性、認知能力の程度が左右イデオロギーの過激さへの傾向を助長するのだろうかということです。さらには、SNS にはさまざまな交絡因子があり、実際はそれらの相互作用でユーザーの態度が現れると考えられます。

引用文献・記事

[1] Hodson, G. and Busseri, M. A.: Bright minds and dark attitudes: lower cognitive ability predicts greater prejudice through right-wing ideology and low intergroup contact. Psychol Sci. 23, 187–195 (2012). https://doi.org/10.1177/0956797611421206

[2] , S.: Low IQ & conservative beliefs linked to prejudice. LiveScience. January 12, 2012. https://www.livescience.com/18132-intelligence-social-conservatism-racism.html

[3] Onraet, E. et al.: The association of cognitive ability with right–wing ideological attitudes and prejudice: A meta–analytic review. Eup. J. Person. 29, 599–621 (2015). https://doi.org/10.1002/per.2027

[4] Choma, B. L. et al.: Right-wing ideology and numeracy: A perception of greater ability, but poorer performance. Judg. Deci. Making. 14, 412-422 (2019). https://doi.org/10.1017/S1930297500006100

[5] Cuevas, J. et al.: An integrated review of recent research on the relationships between religious belief, political Ideology, authoritarianism, and prejudice. Psychrol. Rep. 124, 977-1014 (2021). https://doi.org/10.1177/0033294120925392

[6] Baron, J.: Actively open-minded thinking in politics. Cognition. 188, 818 (2019). https://doi.org/10.1016/j.cognition.2018.10.004

[7] RNZ: How our smartphones are turning us into dopamine junkies. September 12, 2021. https://www.rnz.co.nz/national/programmes/sunday/audio/2018812004/how-our-smartphones-are-turning-us-into-dopamine-junkies

[8] Ahmad, S. et al.: Social media and anti-immigrant prejudice: a multi-method analysis of the role of social media use, threat perceptions, and cognitive ability. 
Front. Psychol. 15, 1280366 (2024). https://doi.org/10.3389/fpsyg.2024.1280366 

[9] Freedom, D.: The shared psychological roots of prejudice and conspiracy theory belief. Curr. Opin. Psychol. 56, 101773 (2024). https://doi.org/10.1016/j.copsyc.2023.101773

[10] González-Bailón, S. et al.: Asymmetric ideological segregation in exposure to political news on Facebook. Science. 381, 392–398 (2023). https://www.science.org/doi/10.1126/science.ade7138

[10] Zmigrod, L. et al.: The partisan mind: Is extreme political partisanship related to
cognitive inflexibility? J. Exp. Psycholol. 149, 407–418 (2020). http://dx.doi.org/10.1037/xge0000661

          

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